子供の頃。あれはまだ私が日本に住んでいた頃だ。私にはシンジとカヲルという幼なじみがいた。生れた頃からずっと一緒で、遊びも悪戯も一緒にした。私だけが女の子だったけれどそんな事は全然気にならなかった。どちらかというと大人しいシンジのせいで、私はいじめっ子側だったと思う。男勝りでママによく叱られた。いつもカヲルが3人を上手くまとめていて、だから私たちはいつも仲良しだった。

夏に、私とカヲルの両親が私たち3人を連れて野外へキャンプに出掛けた。シンジのお父さんは仕事が忙しく、お母さんはもう死んでしまっていたのでシンジは一人だったけれど、それでもうちの両親もカヲルの両親も、私たちと同じようにシンジを構っていた。
川で泳ごうと私が言ったらシンジは「叱られるよ」といって止めた。細かい所は覚えていないけれど、私はまたいつものようにシンジに詰め寄って、

「ほら! シンジも泳いだら」

と突き飛ばしてしまった。たとえ子供のする事とはいえ、許されない事もある。シンジはそのまま川に落ちてどんどん流されてしまった。自分のしたことにびっくりして私はただ泣き喚いていたけれど、カヲルが父親を呼んできたから辛うじて、シンジは助かる事ができた。
両親には今までないくらいに叱られたけれど、それ以上に、自分がした事がとんでもない事でシンジを傷つけてしまったのだということはわかっていたから、ずっとシンジの側を離れないで泣いていた。そして目が覚めたシンジに心の底から謝った。

「ごめんねシンジ。ごめんなさい。ひどいことしてごめんなさい」

でもシンジは怒らなかった。

「アスカ、泣かないでよ。僕、大丈夫だから」

それを聞いて私はもっと泣いてしまった。
シンジは、そのせいで水が恐くなって泳げなくなってしまった。水泳の授業では必ず見学。私はなんとかシンジを水に慣れさせようとがんばったけれど、だめだった。

3人でいると、どうしても私はシンジを虐めてしまうのだけれど、それはその後もずっとだったけれど、でも心のどこかでシンジには負い目を感じていた。

でも、シンジは本当はちゃんとわかってくれてるという甘えがあるからか、感情が高ぶると制御できなくて、後から酷く後悔するのだった。

そのうちにママの転勤の話しが出た。

「ドイツ?」
「うん。ママがあっちの研究所に行くんだ。もともとパパの国でもあるし、皆で行こうってことになったの」
「淋しくなるね」
「また、帰ってくるの?」
「わかんない。でもきっとずうっと先の話になると思う」
「そっか」

ドイツに行ってもシンジとカヲルの事を忘れたりはしなかった。誰も知ってる人がいない国で猫を被った私は、幼い頃が嘘のように大人しい娘として振る舞っていた。もちろん、本当の所が変わるような事はなく、両親にはよくからかわれたのだけれど。

きっと日本に帰ってシンジやカヲルと会ったら、あの頃の様に戻るんだろうなと思っていた。

***

子供のころ。あれはまだアスカがここに居たころだ。シンジ君の忘れ物を届けにいったのだけれど、呼んでも誰も出てこなくて、でもドアの鍵は開いていたから、僕は勝手知ったる他人の家と入り込んでしまった。

入ったときから妙な声が聞こえていた。赤ん坊の泣き声のような、でもどこか違うような声。僕は、その声に引かれて奥へと進んだ。僕が一度も入ったことのない、多分おじさんの部屋からその声は聞こえていた。その部屋のドアも薄く開いていて、僕はそっと覗き込む。

おじさんがシンジ君の上に乗りかかっているのが見えた。何をしているのかよくわからなかったけれど、声はシンジ君が出しているものだった。おじさんはシンジ君を抱き上げて揺らしている。僕から見えるのはおじさんの背中とシンジ君の顔だった。だからシンジ君は僕の顔が見えたはずだった。でもその目はなんだか遠くを見ているようで、僕を見ていながらまるっきり気づいた様子はなかった。

僕は、なんだかイケナイものを見てしまったと思って、その場から逃げ出した。玄関にシンジ君の忘れ物を置くと、走って帰った。

次の日、シンジ君はいつもと何も変わらない態度で

「昨日忘れもの届けてくれたんだね。ありがとう」

と笑った。

僕は、だから、そのとき見たことは誰にも言うことはなかった。

***

何年振りだろう、この街を歩くのは。ドイツに行ったのが小学校の6年生だったから10年ぶりになる。覚えているところもあるけれど、ずいぶんと変わってしまって、知らない街みたい。

第3新東京市。

もうすぐ遷都されて新しい首都になるというのだから当然なんだろうけど。私がいた頃も賑わってはいたけれど結局は地方都市でしかなかった。
あの頃の友達は、変らずここにいるだろうけれど、みんなどうしているだろう?

これから住むマンションにとりあえず荷物を置いて街の散策に出かける。いろんなお店があって、これならいろいろ楽しめそう。
ウインドウショッピングをしながら歩いていると声を掛けられた。

「アスカ? アスカじゃないかい?」

振りかえると見間違えようのない男の子が立っていた。

「カヲルじゃない! 久しぶり! 元気だった?」
「変わらないよ。アスカはきれいになったね」
「相変わらず口がうまいわね。カヲルは変わらないわね。すぐわかったわよ」
「変わりようがないだろう?」

そう、カヲルはアルビノだ。銀の髪に赤い瞳。どんなに長い時間がたっても忘れようのない外見。

「ねえ、みんなは? 元気? ヒカリとか、シンジとか」

そう聞くとカヲルは顔を曇らせた。

「洞木さんは元気だよ。同じ大学に通ってる。・・・シンジ君は、亡くなったんだ、高校の時に」
「・・・うそ」
「残念ながら本当。川に落ちた子供を助けようとして、溺れたんだ」
「ってシンジ、泳げなかったでしょう?」
「岸の近くを流れてたから、足も付くし、引き上げようとしたみたいなんだ。でも溺れてる人って結構暴れるだろう? だから一緒に流されちゃったんだって、警察は判断したみたい」
「信じられない。みんな変わらずにいるもんだって・・・」
「アスカにも知らせようと連絡したんだけど、転居先不明で返ってきたんだよ」
「ああ、うん。ちょっとトラブルがあって、郵便物は届かなかったときがあったんだけど、じゃあ、あの時、」

なんだか呆然としていたらカヲルが話題を変える。

「アスカは今日はどうしたの? 一時帰国?」
「え? ううん。ママがまたこっちに呼ばれて帰ってきたの。本当はみんなで帰ってくるはずだったんだけど、引継ぎがうまく行かなくて。でもマンションとか買って準備しちゃってたから、私だけ先に来たのよ」
「じゃあ、うちの大学に編入になるのかい?」
「そのつもり」
「じゃあ、また遊べるね」
「うん」

その日は新しい連絡先を教えて、カヲルとは別れた。

「洞木さんにも連絡しておくよ」
「他の子達とも会いたいな」
「じゃあ、誘ってみるし、帰国祝い、しようか」
「本当? お願い!」

帰国祝いの詳しい日程報告のとき、カヲルに「シンジに線香くらい上げたい」と言ったら「無理だよ」と言われた。叔父様はシンジの死がよほどショックだったらしく、頑なにそれを認めようとしなかったのだという。結局、葬式も出していないし、お墓もないのだとカヲルは言った。

「じゃあ、シンジのカラダはどうなったの? いくらなんでも持たないでしょう?」
「うん、僕もそう思うんだけど、今の所シンジ君の家で異臭騒ぎもないし。こっそり埋葬したのかもしれないけど、僕らにはわからないんだ。だから僕も、一度も墓前には立ってない。おばさんのお墓とかも見に行ったんだけど、シンジ君の名前はなかったし」
「シンジの所って、叔母様は早くに亡くなって、叔父様と二人暮らしだったわよね」
「そう。あんまりシンジ君のこと構ってるようには見えなかったけど、あの時の取り乱し方はかなりびっくりしたよ」
「シンジ、お父さんには好かれてないんだって、言ってたもんね」

帰国祝いには思ったよりも大勢が集まった。同窓会といったほうが正解なのだろうけれど、懐かしい顔に会えて、昔話に花も咲いて楽しかった。シンジの事があっただけに、他の皆が元気なのがとても嬉しくて。
そのうちにお酒も廻ってきて、だんだん話が変な方向に転がり出す。

「そう言えばさ、最近の噂、知ってる?」
「なになに?」
「幽霊が出るって、やつ」
「そんなのどこにでもあるじゃない。昔っからあるでしょう?」
「それが違うんだよ。場所が限定されてないんだ。だいたいこういう話ってさ、ここ、って場所があるだろ? 元病院とか元墓場とか。それが無いんだ。街中で目撃されてる。結構ホントウらしいぜ」
「短大行ってる友達が、小さい頃に死んだお兄さん見たって言ってたよ。子供のまんまの格好だったって」
「そういえばバイト先の奴が、死んだじいさん見たとかいってたかなぁ」
「確かに家だったり、道端だったりって聞くね。何なのかな?」

相田達が嬉々として話すのを聞いていたヒカリが思いつめたような顔で言った。

「私、碇君、見た。この間、近所で」
「まったまたぁ」
「本当よ! 高校の制服着て、あの時のまんまの姿で歩いてたのよ。ずっと見てたんだから、本当なんだから!」
「信じられないなあ」
「それ、ホンマやで」

そう言ったのは鈴原だった。ビールを飲んではいたけれど、とても神妙な顔でぼそりと言った。

「それわいの家の前やから。ヒカリ、うちから帰るときに見とんねん。わいも見た。後ろ姿やったけど。まちがいない。あれはシンジやった」
「うそ」

それからは酔っ払った奴等が、自分は誰某を見た、自分は誰某を見たと言い出して、話はめちゃくちゃになっていった。私はちらっとカヲルを見た。カヲルは俯いて何か思いつめたような顔をしていたけれど、私に気づいて視線を向けると微笑んだ。

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