「ん、ん、あ、あぁっあ、う、ん、んぁ、あ」
シンジは今自分を犯している者が誰だかわからなかった。ただ、場所だけはえらく豪奢なベッドの上だった。スプリングも効いており体重をかけられてもぐっと沈み込むだけで背中は痛まない。そういう小さな痛みが少ないからか、快楽が妙に強い。何度目かわからない白濁を零し痙攣しながらも終わらない動きに合わせて自分の腰も揺らめかせる。シンジが解放されたのは3度目に注ぎ込まれた後だった。

自分を保護してくれていた男の所で数人に襲われたことは記憶にあった。しかしその後のことは覚えてはいない。気がついたらベッドの上にいた。空腹とだるさで体を起こすことはできなかったので頭だけを動かして辺りを見渡す。ここに来てから見たどんな場所よりも綺麗な部屋だった。壁も汚れていない、模様が禿げてもいない。ベッドは普通のものではあったがシーツは真っ白で糊付けさえされている。まるで以前の生活にもどったかのようだった。だから一瞬だけ、シンジは今までのことが全部夢で、今自分は目が覚めたのではないか、と思った。体はまだ睡眠を欲しているようで、とろりと意識は混濁しようとする。けれど頭のどこかがもう一度眠ることを怖がった。ここで眠ったらまたあの悪夢に戻るのではないか。それでも睡魔には勝てなかったが。
次に目を開けたとき、側には人がいた。うつろな目をしたその人は、シンジが目を覚ましたのを見ると持っていたトレイをシンジの前に置く。そこには食事が載っていた。湯気の上がったスープとやわらかそうなパン。スクランブルエッグとサラダ。そしてグレープフルーツジュース。ここに来てからお目にかかったこともない食事。だからシンジは本当に夢から覚めたのだと思った。思ってそれを食べようと手を伸ばした時に、ようやく自分が裸であることに気がついた。そして腕にも胸にもたくさんの色々な痣があることにも。
「あ」
それはシンジに今までのことが夢ではないのだと主張していた。覚えがあるだろう? と。
「ああぁぁ」
頭を抱えてうずくまる。トレイは滑り落ちて食事は床に散らばった。シンジはそんなことにも気づかず夢ではなかったという衝撃を堪えようとする。

「目が覚めたみたいだな」
声がした方を見る。入ってきたのは隻眼の派手な服装の男。シンジには見覚えがなかったが、相手はシンジを知っていた。始末人だった。
「こんなまともな飯、他では食えないんだぜぇ? ちゃんと食っといたほーがいいと思うがな」
そういってベッドに座り、シンジの顎に手をかける。おびえた目で見上げるシンジに
「顔だけ見てっとどこにでも居そうなガキなんだがなぁ」
そういうとべろりとシンジの頬を舐めあげた。ひっと体をすくませるシンジを笑い始末人は続ける。
「弱ってるのを食う気はないんだとー。とりあえず飯食って寝て元気になんな」
さっきと同じ人が同じようにトレイを持って立っていた。始末人はそれをシンジの前に置く。
「ぜぇ〜んぶ食えよ?」
食べるまでそこから動かなさそうな気配に、シンジはゆっくりと食事を口に運ぶ。暖かさと味に涙が出そうになった。全て食べ終えると始末人は何も言わずに出て行った。

そうしてしばらくその部屋で過ごし、連れて行かれた先でシンジは見知らぬ男に犯されることになった。

シンジをベッドの上に放ったまま、男はガウンを羽織り出て行った。
それからしばらくしてシンジは複数の男の手で引き摺られるように連れて行かれ、体を洗われたあと、その背に真っ赤な薔薇を彫られた。

刺青の痛みと熱で朦朧としながら、シンジは始末人と自分を犯した男の声を聞いた。
「お前は景品だ」

シンジを犯した男はゲームの管理者だった。届けられる情報を処理し、コントロールし、ゲームを盛り上げるために男は存在している。ゲームで最高位に置かれるのは王だが、最高権力を握るのはこの管理者といっても間違いではなかった。シンジを襲った男たちへの処刑指示もこの男が出している。ただそのときはシンジのことなど眼中にはなかった。

始末人が気に入り、管理者の元へ連れてきたから味見をした。そして『景品たり得る』と判断した。
『王に挑戦して外へ出る』という賞品だけではそろそろゲームの維持が厳しくなってきていた。それが『成し得ない』『無謀な』目標になりつつあったからだ。多くの者はゲームを終わらせることを諦め、ただ漫然とゲームをこなしている。それではゲームは盛り上がらない。もう少し安易で飛びつきやすい目標が必要だった。この景品がどのくらいの効果をもたらし、どのくらい持つかはわからない。だが試してみてもいい。

『花(フィオレ)』を所有する事への特典。だがそれだけでなく『フィオレ』自身に魅力がなければ景品にはならない。女を使うという案もあったが、女は妊娠する。それに壊れる。その点シンジは男達に嬲られても壊れなかったという『実績』があった。魅力、という点では管理者自身が確認している。
そうしてシンジは男たちを煽り、所有される『フィオレ』になった。
タグとは別に『フィオレ』を求めて男たちは争う。

フィオレを所有する者は、まずフィオレを自由にできるが、それ以外にも十分な、そして流通している食糧よりは数段良い食事を食べることができた。酒も好きに飲める。タグを奪わなくてもそこそこの生活ができる。
それが特典であり、故に狙われる事にもなる。
もし不意打ちで所有者を倒してもフィオレを手に入れることはできない。そこは管理者がしっかり監視していた。フィオレという景品制度を発表したときに『不正者はその場で殺す』と警告もされている。ちゃんと所有者と戦い、勝たなければフィオレを手に入れることはできなかった。
それでも何勝かしてタグを集める必要がない、たとえまぐれでも相手を倒せば手に入れられるというフィオレはゲーム参加者の戦意を煽った。

フィオレとなったことでシンジ自身は戦う必要も、ここで生きていくための苦労も不要となった。飢える心配もない。シンジに傷をつけることは許されなくなった。末端のゲーム参加者と比べれば恵まれた状態と言える。だがシンジはそんな『景品』であることに絶望を感じていた。
ただ。
それでも何故か死を選ぶ気持ちはない。むしろ死にたくないという気持ちのほうが強い。
フィオレはモノだ。中には傷はつけないがひどい扱いをする者もいる。けれどフィオレを辞めれば恐らく生きてはいけない。死にたくないから、何をされても耐えることができた。何をされても、死んで終わらせようという気持ちだけは出てこなかった。

ある夜。月が綺麗で、街灯がなくても街全体が青白く浮かび上がっていた。
シンジは所有者と外を歩いていた。バーで飲み塒へと帰る途中。酔ってはいたが足取りはしっかりしている。
建物の影、月の光が翳っているところで何かが光る。目が向いた。見ていると影から人が現れた。
抜き身の日本刀を携えた人。
若く見えた。もしかしたらシンジと変わらないくらいかもしれない。髪は色が薄いのか月明かりの下で白く見える。黒くて長い上衣。細身だが身長はある。
その姿を見て所有者は呻いた。
「お前、タブリス・・・?」
その言葉をシンジは聞いたことがなかった。たぶりす? と少年を見たとき、そこにその姿はもうなかった。
隣から鈍い音が聞こえ、生暖かいものが頬にかかった。
「え?」
よろめいて尻餅をつくように座り込む。
所有者だったモノはどさりと倒れ、先ほどの少年が立っていた。ブンと血ぶりをしてから切っ先でシンジの顔を上げさせる。硬く冷たい鋼が細く顎の下に当たる。逆光で顔ははっきり見えない。それでもとても整っていることはわかった。
「君が噂のフィオレか」
少し癖のある柔らかいトーン。耳にすっと入って広がる声。シンジは呆然とただ見上げていた。そんなシンジを少年は何の感情もない目で見下ろし、おもむろに刀を鞘に収める。そして踵を返すとそのまま去っていった。

シンジの所有権については仕切り直しが行われ、新しい所有者が決まった。そしてシンジはその人に『タブリス』について聞いてみた。
タブリスについてのあれこれは噂の域を出ない。日本刀が武器、というのも噂も確かにあったが、
「本当みたいだな」
と笑った。
タブリスは実在を怪しまれていたのだと言う。ゲームの参加者らしい。目撃者はほとんどが死んでいていない。だから噂だけが蔓延って姿がわからない。ルールに則っていない行動をとる。殺人を犯しているが処罰はされない。だから『タブリス』と呼ばれている。
そのくらいの情報しか手には入らなかった。
シンジはしばらく『タブリス』の姿を夢に見た。自分を見下ろしていた目。無表情に、というよりは蔑むような、その表情が何故か忘れられなかった。

フィオレという景品はシンジが思った以上の成果を上げたためか、その後数人が追加された。それぞれに違う花を背に持っていた。だがシンジ以外はあまり長持ちしない。安穏と胡坐をかいていれば楽に生きて行ける立場と言えるから手を上げるものはそれなりにいた。だが所有者が優遇されるのは自分のおかげと増長して殺されたり、所有者がころころ変わる事や扱いに耐えられず『薬』に手を出したり自殺したりとすぐにダメになる。
そんな中でずっとフィオレとして存在するシンジは段々と別格とされていった。

そんな中でシンジも少しずつ変わり始めた。
シンジを所有できるものは強い。その強さにはいろいろな種類があるが、何かが飛びぬけて強いからシンジを奪うことができるのだ。挑戦されても蹴散らせないと自分が死ぬ。
それらの強い者たちの戦いをシンジは観察した。見るだけで強くなるわけではない。だがじっと、その動きや呼吸を観察した。
そして所有者が許せば、武器の扱いについても教えてもらうようになる。すべての所有者が教えてくれるわけではないけれど、持ち方・裁き方・手入れの仕方など色々なことを聞いた。シンジは本当に武器のことなど何も知らなかったから、初歩の初歩から聞いた。
多くの参加者が武器としているナイフをまず教わった。それぞれが得意な獲物について教えてくれるから、木刀やただの棒の使い方ということもあった。そして中には『何でも武器になる』と教えてくれた人もいた。手近にあるものを何でも使う。石ころなどは武器としての精度は落ちるかもしれない。それだけで殺そうとするとピンポイントで急所を狙うなどの技術が必要になる。だがとりあえず相手にダメージを与えるだけなら十分使える。そういうことを考えて使えば何でも武器になるのだと、そう教えてくれた。
それらをシンジは自分に染み込ませていく。

実際に扱わせてくれる事も増え、シンジは今更に戦い方を覚えていく。その変化はゆっくりで、気づくものは皆無だった。始末人は気づいていたかもしれない。だが放置された。
そして時間が経ち自信をつけたシンジは、下衆で粗野なだけのその時の所有者に戦いを挑み、これを下した。
フィオレが所有者を殺すなどとは前代未聞で、シンジは管理者に呼ばれ尋問される。その場でシンジは、
「自分にだって選ぶ権利はあるはずだ」
と主張した。フィオレとして所有されることが嫌なんじゃない。嫌な奴に所有されたくないだけだと。
フィオレという制度が軌道に乗り、シンジがその中でも別格になりつつあるという点も考慮されたのかもしれない。実際にフィオレが所有者に戦いを挑んだとして、勝てる可能性はごく僅かだ。戦うことを選ぶフィオレは多くはないだろう。何よりフィオレになること自体を拒否しているわけではない。だからだろうか、シンジの主張は認められた。

所有者の戦いが済んだ後、フィオレがその相手を気に入らなかった場合は、戦うことで拒否する権利が認められた。負ければそのまま所有される。拒否したことで扱いがひどくなったとしても受け入れるしかない。
だが勝てれば嫌な相手に所有されなくて済む。

本来フィオレは戦いに弱い立場のものがなることが多い。管理者の予想通り、権利は与えられても実際に戦って拒否するものはほとんどいなかった。
そんな中でシンジは自分を所有するものを完全に選ぶようになっていた。それができるだけの力を手に入れつつあった。
シンジは自分の力量を正しく把握していた。嫌な相手であっても勝てないと判断すれば拒否しない。だが勝てると思えば容赦はしなかった。
そんなシンジはフィオレ達からも別格として見られるようになった。

フィオレ同士の交流はほとんどない。時折連れて行かれた観戦先で互いの姿を見ることはあるが、話をする機会はなかった。
稀に所有者同士が互いのフィオレを交換して楽しむことがあり、そんな時は話をするこもできた。だが状況が状況だけに実際に会話をすることはあまりない。

その日は、シンジにとっては久しぶりの交換であり、相手は『自分だったら拒否する』と言うタイプで(だからこそ交換を言ってきたのだろうが)、かなり体が辛かった。男は事が済むとすぐに高いびきで寝てしまう。シンジは同じベッドで朝まで過ごすのが嫌で、軋む体を無理に動かして部屋を出た。隣は自分の本来の所有者と別のフィオレが使っていたが、すでに眠ったのか静かだった。ベッドでなくていい。隅でいいからそこで寝ようとシンジは体を横たえる。
体のあちこちがじくじくと疼く。熱が出てきたのか体も熱い。起きたら薬を貰おうと思っていたら、声をかけられた。
「大丈夫ですか」
向こうのフィオレだった。
「僕、薬持ってますから」
そういって彼はシンジの手当てをしてくれた。あれが所有者であれば薬は手放せないのだろう。体を拭き、薬を塗り、水を汲んできてくれる。
「すみません、ひどいことを。あなたにもこんなことをするとは思っていなかった」
『あなた』と呼ばれ、シンジは何とも言えない気持ちになる。違和感とも違う。嬉しいというのとも違う。そういえばここに来てすぐの頃、自分も指摘された。『外』では普通の言葉遣い。
「君はここに来て日が浅いの」
シンジが聞く。
「あなたよりは」
そう答えた。そのフィオレは『カズキ』と名乗った。他のフィオレと同様、体は華奢で奪い合いに参加できるようなタイプには見えなかった。顔はシンジよりも『綺麗』だと思える。今はシンジへの申し訳なさからか表情が硬いけれど『笑った顔が見たいな』とシンジは思った。
ここに来てそんな風に思う相手に会ったのは初めてだった。言葉や態度が、もう遠い記憶となってしまった外での生活を思い出させるからだろうか。
「あなたに憧れていました」
カズキはそう言う。その言葉や態度にシンジはかなり好感を持つ。シンジがここで出会ってきた中では、一番普通に見えた。『外』での知り合いと話しているような気持ちになる。それだけが理由かもしれないが、シンジはカズキを気に入る。
「ありがとう」
手当てをしてくれた事に、憧れていると言ってくれた事に、シンジは礼を言う。そんなシンジをじっと見つめて、
「どうしてあなたはそんなに強いんですか」
とカズキは問うた。シンジは首を傾げる。自分が強いとは思っていなかった。今は少しずつ戦えるようにはなってきたが、強い奴は他にたくさんいる。だから
「強くはないよ」
そう答える。
「死のうと、死んだほうがましだと思ったことは、ないんですか」
そう聞かれてシンジは黙り込む。どうしてだか本当に死のうと思ったことはなかった。薬に手を出そうと思ったことも不思議となかった。今でも死ぬのは怖い。怖いから、自分が適わないと思った相手は諾々と受けいれているのだ。そう告げると
「そう思えるのも強さだと思います」
そう答えが返った。そして『あなたのように強くなりたい』とも。
これが他の者であれば、シンジは答えなかったかもしれない。けれどカズキに好印象を持ったシンジは、聞かれるままに素直に答えていた。自分でも珍しいと思った。
そして『これは自分のやり方だけれど』そう前置いて、自分がどうやって戦い方を身につけたかを話した。
一晩そうして二人は話し、あたりが明るくなった頃、カズキが
「もし、僕が挑戦者としてあなたを手に入れに来たら、僕のものになってくれますか」
そう聞いてきた。シンジは笑顔で
「いいよ」
と答える。カズキがシンジに腕を回す。
それが可能かどうかはわからない。どちらかといえば有り得ないに近い。けれど本当にそうなったら自分は拒否はしないだろうとシンジは思った。
「嬉しいです」
そう言って笑った顔は、とても綺麗だった。

それからシンジは時折聞こえてくる彼の噂に耳をすませるようになった。知りたいと言えば、もっとちゃんと情報は入ってくるだろう。けれどシンジは自分からは何も言わなかった。

どのくらい経っただろう。その日、シンジを奪うものとしてカズキが目の前に立っていた。
鍛えたのだろう体は少し大きくなっていたけれど、それでもここでは細い。見た目だけで判断するなら勝ち目はなかった。
実際かなりの苦戦接戦だった。ぼろぼろといっていい体で、何とか彼は勝った。
そしてシンジは拒否しなかった。

「たぶん次は勝てません」
その夜シンジを抱きながらそういう。
「今回だってまぐれだ。この相手だったら自分の戦い方で何とかなるかもしれないと思ったからチャレンジしました。でも次の相手もそうだとは限らない。あなたをこうして抱けるのも今だけだ」
そういって熱心に胸をついばむ。
「でもそれでもいい。一度だけでもいいって思ったんだ」
それはシンジもそう思っていた。
「あなたが好きです」
そう告げる相手を、シンジは多分おそらく初めて、自分の感情で抱き寄せた。求められるまま体をつなげ、自分から口付け腕を伸ばした。その細い腰に足を絡めて深く引き寄せた。
同じ感情は返せない。けれど今までシンジを抱いてきた誰よりも、シンジもカズキを好きだった。
「好きな人、いるんですか」
聞かれた問いに頷く。
「誰か教えてもらってもいいですか」
頭を抱き寄せるようにしてその耳に囁き、そのまま深くキスをした。

お互いの予想通り、数日で次の挑戦者が現れ、彼は勝つことはできなかった。そしてシンジは相手を拒否した。一度拒否した所で、結局は誰かに所有されてしまうのだけれど。

シンジは考えていることがあった。もうずっと考えている。
カズキと会ってからは確信に近い。自分の予想はたぶん間違ってはいない。

少しずつシンジは拒否を増やしていった。慎重に相手を見、自分のレベルを考える。
そして続けて3人目を拒否したとき、シンジはすでにフィオレではなかった。
ゲームの参加者と対等に戦い、勝つ。それは普通のゲーム参加者と同じ。
シンジは拒否した相手のタグを回収していた。タグを集めれば王に挑戦することができる。そして勝てば外に出られる。それはシンジにも適応されるはずのルール。

シンジは自分からは仕掛けず挑戦を受けた。そしてスペードの10からKまでを揃える。シンジのタグはスペードの1。
「これで王に挑戦してもいいよね」
シンジが管理者にタグを見せて言う。
フィオレの王への挑戦。ゲーム参加者の誰もが想定しなかった事態。
管理者は黙ってタグとシンジを見、そして首肯した。

次へ

お話へ