その夜、シンジは少し外れにある寂れたビルの前にいた。入り口でビルを見上げ中に入ろうとすると中からきらりと光をはじいて日本刀が喉元に突きつけられる。シンジは一瞬驚いて、それから笑う。
「よかった。何箇所回らなきゃいけないかなってちょっと心配してたんだ」
「よくわかったね」
「フィオレなんてしてるとその気になればいろんな情報が手に入るんだよ」
タブリスは日本刀を引きシンジに中に入るよう促す。
案内されたのは、とりあえず住めそうという空間。もっと綺麗なところに住んでいるのかと思っていたのでシンジは少し驚く。ただ冷蔵庫があることが珍しい。その冷蔵庫をあけ中から缶を1本取り出すと一度大きく振ってシンジに投げる。
「すぐに飲めないじゃないか」
「構わないだろう」
自分はさっさとプルを開けてゴクゴクと飲み干していく。その姿をシンジはじっと眺める。
「で、用件は」
缶を眺めたままタブリスが聞く。
「うん。今度王に挑戦することになったんだ」
「知ってる」
「だから会いにきた」
「なんで」
「君と1度してみたかったから」
会話の間シンジは視線を動かさなかった。頭の中でカズキの事を考える。タブリスは缶を全て飲み干すと冷蔵庫から新しい缶を取り出した。
「やらせてくれるの?」
プルを空けて口をつける。
「それは僕の台詞だと思う」
シンジが答える。
「そう? 天下のフィオレなんだろう?」
「あの時は全然眼中になかったじゃないか」
「あの時はただのお人形だったし」
「今なら? 君の目にとまる?」
シンジがプルをあける。泡が少し噴出す。かまわずに口をつけるとシンジは一気に呷った。くっくっと押し殺したような笑い声が聞こえる。
「いいよ。そこに寝なよ」
そういってベッドを指した。
こんな行為何度もして慣れているはずなのに声を抑えるのが難しかった。どこに触られても気持ちが良くて困る。特に何か違うことをされているわけじゃない。タブリスは普通に触れて普通に煽っている。それでもその指や口が触れれば熱いしその熱は消えなかった。
「あっ、ン!」
口を押さえる。
「別に外には聞こえないよ」
そう言われても堪えようとしてしまう。タブリスはうっすらと汗をかいているものの息が上がったふうでもない。自分だけが乱されているのがなんとなく悔しかった。けれどまだ入れられてもいない状態ではどうしようもない。口ではさせてくれなかったし。だからこれ以上いじられるのは嫌だと、
「もう、いいから入れてよ」
そう言う。
「そう?」
なんて言ってタブリスはぐいっと入り込んできた。
「あ、あ、あ、あ!」
声が出る。動きが止まって全て入ったと思うとシンジは自分から腰を使った。締めたり緩めたりしながら足で腰を引き寄せて動かす。タブリスもその動きにあわせるようにする。
「は。ん、ん。あ」
白銀の髪に指を絡めるようにして後頭部に手を回す。やわらかい髪の感触に、それだけでも気持ち良さを感じてしまう。くしゃくしゃするようにかき混ぜて頭を引き寄せる。少し開いた口を合わせ舌を送り込む。タブリスからも絡められ互いの口の中を舌でなぞる。呼吸が苦しいけれど離れたくなくてどうしようなんて考えながらそれでもキスを続けた。そのうちにシンジが根をあげる。早い呼吸で何とか酸素を補充しようとするシンジに対してタブリスはそのままその口を体へと下ろしていく。シンジにはもうタブリスの様子を見る余裕はなくなりつつあった。揺さぶられる動きにあわせるのが精一杯だ。
そうしてタブリスの動きが変わり、シンジも堪らず果てる。
そのまま何度したかわからない。眠くなればそのまま眠り、目が覚めるとまた抱き合う。食事もしないでそんなことを続けた。
「あ・・・んんっ!」
ぶるりと震えて脱力する。ずるりと抜かれて首がすくむ。そのままシンジの上に体を乗せてくる。
「そろそろ時間だね」
そう言われた。シンジもそろそろかなと思っていたから肯いた。
「王を倒してどうするの」
「倒せるかわからないよ」
「倒すつもりなんだろう」
「まぁ挑む以上はね」
「その後どうするつもりなのかなって話なんだけど」
「考えてない」
「外へ出たいんじゃないの」
「出られないよ」
シンジは笑う。
そう。シンジは出られるとは思っていなかった。勝つかどうかも考えていない。ただ挑戦することが必要だった。
「望みがあるから挑むものなんだと思っていたよ」
「望みは叶ったから」
シンジがずっと考えていること。
「以前に、死にたくならないのかって聞かれたことがある。初めて君にあった頃、あの頃の僕は本当に周囲に好きなように扱われていて、あんな状況で生きてるなんて辛いだろうなって今でも思うのに、死にたいなんて思ったことなかったんだ」
タブリスは黙って聞いている。互いの心臓が納まっていくのがわかる。
「自分では、自分があまりにも小心者で怖がりだから、だから死にたくないんだって思ってた。プライドがないから何されても平気で、死ぬほうが嫌なんだって思ってた。でも、もしかしたら違うんじゃないかなって思うんだ」
こんな風に戦えるようになるなんて、あの頃の自分は微塵も思っていなかった。きっかけは目の前の人だけれども。
「僕を好きだと言って死んだ人がいたんだ。ここではよくある話だし全然特殊な状況じゃなかったし、僕は彼の死に何かを思う必要なんてないはずなんだけど」
その前から考えてはいた。けれどあれで確信した。
「僕がいなかったら彼はこんなところに来なくても済んだんじゃないかって思うんだ」
シンジがここで『フィオレ』をつくった。そういう手段を作ってしまったから。他の、まっとうな手段で戦ってる奴もいるんだろう。けれどそれではどうにもならなかった。王に挑戦するものはずっといなかった。そこに至るまでにほとんどが潰し合い消える。けれど違うルートができた。
「僕自身の望みは叶ったんだ。だから僕はこれで満足してる。
でも僕は、王とやりあわなきゃいけないんだよ」
タブリスは黙ってそれを聞いていた。
ビルの1階で二人は向かい合う。
「もし、王と戦って勝ったら、名前、教えてくれる?」
シンジが聞く。
「いいよ」
タブリスはそう答えて笑った。シンジもそれを聞いて笑い、
「じゃあ」
そういって踵を返すと外へ出て行った。
管理者が用意した場所は、元は競技場か何かだったらしいが、荒れるままに放置され修理もされていないようなところだった。グランドには雑草も生えているし、崩れたコンクリートの固まりが転がってもいる。身を隠せるようなものはないが、足場はフラットではない。亀裂もいくつか見られる。大小合わせればかなりの数になるが、すぐに崩れるほどではなかった。観客席もあったが、一般の観客は入っていなかった。スタンドにはカメラが数台置かれている。管理者にそんな技術があるのかはわからないが、緩衝地帯全域に中継されているのかもしれなかった。
足元を確認するようにあちこち歩き回ってから、シンジはフィールドの真ん中に立った。
管理者達はこの中には居なかった。この競技場に入る前に簡単に説明だけされている。中ではどちらかが倒れるまで戦う。他のものは入れない。二人だけだ。誰も邪魔はしないから、好きなだけ戦えばいい。管理者はそんな風に言って嫌な感じに笑った。
そうして待っていると誰かが歩いてくる音がした。視線を向けた先には、タブリスがこちらに向かって歩いてくる姿が見えた。
"やっぱりな"
根拠は何もなかった。どんなに調べても王が誰かわからなかった。ただ勘で、シンジは彼がそうだと思っていた。だから王へ挑戦した。
そして会いに行って確信した。
彼が王だ。
ただじっと彼が来るのを待った。
少し距離を置いて立ち止まる。タブリスの腰にはやはり日本刀が差されていた。シンジの前でゆっくりと抜く。
合図も何もなかった。
切りかかってきたタブリスに対して瞬差で交わしてナイフを突き出す。
日本刀とナイフでは間合いが違う。単純に考えれば日本刀の方が有利に思える。シンジもそれはわかっている。ただナイフの間合いにまで入ってしまえば逆に日本刀の長さは不利だ。けれどそんなに簡単には間合いに入れるわけはない。切っ先をかわしつつ何とか隙を伺う。
打ち込みをかろうじてナイフで受け流すこともあった。タブリスの打ち込みは強い。受け流すにしても腕や手首へのダメージは大きい。長期戦になれば不利だ。距離をとれば少し休める。だが踏み込まなければ勝ち目はない。
フィールドを駆け回りながら位置をかえ呼吸を読みつつ隙を突く。一撃離脱を狙い何度か切りつけることもできたが、傷はだんぜんシンジのほうが多かった。
勝てるとは思っていない。けれど勝つつもりで戦う。そのために考えることはやめなかった。
転がる石を投げつけたり、使えるものは使う。刀に傷がつき使えなくなることも狙うが相手も刀をむやみに傷つけるような戦い方はしなかった。日本刀は硬い。その刀身を何度かナイフで狙うが、一撃で折るなど不可能だった。
どのくらい経ったか、互いに致命傷は与えられないが小さい傷はたくさんつくっている。そして息も上がり始めていた。集中力も続かなくなる。
シンジは考える。勝てるとしたら。この人にもし自分が勝てるとしたら。
タブリスが上段から切り込んでくる。右手1本でナイフを構え受け止める。そして左手に持った石で刀身の1点を殴りつけた。
ピシ。
鋼に亀裂が入り刀身が折れる。見開かれるタブリスの目。折れた刀は力のまま振り下ろされシンジの腕、肩、胸と切り裂いた。シンジは切られながらナイフを彼の首に向けて伸ばす。
手ごたえ。
ぴしゃりとかかる赤く暖かい、生臭いもの。
彼の首から鮮血が噴出す。
前のめりに崩れる体を支え、シンジはその首に手を伸ばし、噴出す血を押さえようとした。けれど指の隙間からたらたらと血は溢れ出しぬるぬるとした感触を与えていく。
かすかに笑いながら、タブリスは口を動かす。シンジは耳を寄せる。
「・・・カ、ヲル・・・」
「何?」
「な、ま・・・」
「わかった。カヲル君」
そう言うとシンジはカヲルの喉に当てていた手を外し背に回す。しっかりと抱きとめた。カヲルの体からは力が抜けており、腕はだらりと下がっている。自分の胸元を暖かく濡らして行くものごと、シンジはカヲルを抱きしめる。すぐにその体はぐたりと荷重をかけて来た。
シンジはその体を抱きしめたまま動かない。表情はなく、涙を流してもいない。
遠くから徐々に近づく音がその耳を満たしていく。音が爆音になってもシンジは耳を塞ごうともせずカヲルの体を抱えていた。
何機もヘリが滞空している。1機を競技場の上に残し残りは周辺への機銃掃射を開始した。残った1機からロープが垂れると人が降りてきた。
競技場に降り立ちシンジの元へと来る。
「ご苦労様」
真ん中に立つ人は女だった。背後には銃を構えた男が2人と女が1人。
「Il le死亡確認。よって議定書に基づき緩衝地帯は『再開発』に入ります。思ったより早かったというべきかしら、遅かったと言うべきかしら。正直あなたがここまでできるとは思っていなかったわ。MAGIがあなたを選んだときはびっくりしたけれど、さすがはMAGIね。
あなたの仕事はこれで終わりよ。ゆっくり休んで」
女はシンジに銃口を向ける。
"ほら、出られるわけなんてなかったんだよ。最初からね"
シンジは心の中でカヲルに言う。
何も思い出してはいない。女の名前もわからない。でも自分が果たした役割はわかっていた。だから勝っても負けてもここで終わりだということもわかっていた。
殺されるのは構わない。けれどそうなったらこいつらはカヲルの体を持っていくだろう。その先それをどう扱うかはわからないが、ろくなことをされないのは予想できる。
右手のナイフを足元に突き立てた。
戦いながらだったから、うまくいったか自信はない。賭けだった。
ナイフは柄まで深々と突き刺さった。ガンッっと音がしてシンジの足元が一段落ちる。シンジはカヲルの体を強く抱きしめる。
シンジがつきたてたナイフを中心にして周辺に亀裂が入り陥没した。シンジとカヲルの体はそのまま一緒に落ちていく。
「危ない!」
背後の一人が女を抱えるようにして引き寄せる。女の足元まで亀裂は来ており踏み出せば崩れ落ちるのは確実だった。
「チッ。回収は無理か。映像があるから問題はないはずだけれど、できれば手に入れておきたかったわね」
「降りますか」
「いえ止めておきましょう。あの様子ではぐちゃぐちゃだわ。判別ができるとは思えない」
「では」
「ええ。とりあえず戻るわ。ここも均してもらわなければ」
そういって4人はヘリからの梯子に取り付く。
近くを掃射していた別の機が競技場にも銃口を向けた。
2勢力の間にある非武装中立地帯という名目で『放置』されていたいわゆる緩衝地帯に、S.G.N.の再開発の手が入ったというニュースが流れた。その後しばらくしてS.G.N.は旧日本政府の残した重要文書を手にいれたと言い『新日本の統治者』を主張し始める。
均衡を保っていた2勢力のバランスが崩れ、新たな紛争の気配が日本を覆い始めていた。
緩衝地帯についての真実が書かれた資料などどこにも存在することはなく、『再開発』の本当の意味を人々が知ることは永遠になかった。