"Il leヲタオセ"
ふと気付くと、碇シンジは廃墟に立っていた。当たりを見回すが人の気配がない。それに生活音もしなかった。建物は灯りが一切なく、窓もドアもぼろぼろだ。壁も薄汚れ、剥がれ、ひび割れ、落書きが目立つ。見上げた時に視界に入るビルの高さや数からはもっと交通音などが聞こえて当然に見える。だが聞こえるのは風の音。
自分を見下ろせば普段から見慣れている制服。胸元に銀に光る金属のプレートが見えた。漫画や映画などで外国の兵士がかけている『ドッグタグ』だと思えた。刻印を読んでみるけれど特にシンジについての情報が書かれているわけではなさそうだった。意味の通らないアルファベットの羅列とトランプのマークに数字。スペードの1。
ポケットなどを探してみるが小銭の1枚もなかった。鞄もない。本当に身一つでシンジはそこに立っていた。思い出せるのは学校でのごく普通の生活で、どこで途切れたのかも分からない。今の状況とつながるような記憶はまったくなかった。
きょろ、としばらく辺りの様子を見るが何も変化はない。腕を見ると時計はしており、もう数分、そこで様子をみてみたが諦め、シンジは歩き始める。
とにかく、ここがどこかを確かめ、そして人を、人でなくても何かを見つけて帰らなければ。
進むべき方向などわからなかったが、とりあえず目の前にあった道をまっすぐ進んだ。暫くすると微かなざわめきの様なものが聞こえてきた。シンジは歩みを早める。それはだんだんと人の声として聞こえ出す。声の出所を探してシンジは小走りに駆ける。
左右を確認しながら歩いて幾つ目かの辻。数ブロック先に数人の人が見えた。シンジは駆け寄ろうとして一歩を踏み出し、そのまま歩を止める。数人が遠巻きに囲む中心で二人の人間がぶつかり合っていた。周りは野次を飛ばしている。シンジには馴染まない光景。その人達の格好も、破落戸、不良、ヤクザと言ったイメージを抱かせ、近寄りがたいものだった。中心の二人は殴り合いを通り越して殺し合っているようにも見える。だからシンジはそれ以上近づくことができなかった。頭の片隅で逃げることも考える。しかしここまでずっと人らしい人とは会っていない。逃げたとして次に誰かに会える保証も、その人達が今目の前の人間よりもまともかどうかも分からない。だからシンジは動けなかった。
男達は二人のやり合いに集中していてまだシンジに気付いていない。シンジはゆっくりと近くの路地に身を隠した。彼らの会話が聞こえれば、少しは何か分かるかもしれない。こっそりと様子をうかがう。
どのくらいかが経って、二人には決着が付いたようだった。歓声があがる。はっきりとは見えなかったが、一方は右手を高々と上げ、もう一方は地面に倒れていた。勝ったと思われる方が立ち去り、それに併せて周りの男達も消えていった。負けたものだけが倒れたまま放置される。
人の気配が消えてからシンジは倒れている人に近づいた。
「あの、大丈夫ですか」
声をかけても反応がない。体を揺すってみる。反応はない。いやな予感がしてそっと首に手を伸ばす。そこは少しひやりとして、そして拍動はなかった。
死んでいるのだ、と理解するまで少しかかった。そして理解したと同時にさっと飛びすさり、呆然とその「死体」を眺める。初めて見る『それ』は寝ているとしか思えない。だがもう一度触れて確認する気にはなれなかった。
ゆっくりとその場から逃げ出す。どこへ行けばよいのかわからないまま、とりあえず当てもなく歩いた。
ここはどこなんだろう? さっきのは何だったんだろう? 死んでいた。殺された? 見ていた人たちは野次っていなかっただろうか。死んだとわからなかったとは思えない。だとしたら、彼らはそれでも放置したのだ。
ふらふらとどこかおぼつかない足取りで歩く。
さっきほどの時間もかからずまた人の気配がした。今度はもっと大勢の、人が暮らしているような空気だ。だがシンジは安心できなかった。先ほど見た光景のショックが抜けない。『人が居る』ということに安堵を覚えられない。もしここが、治安が悪くてああいうことが『普通』に行われる場所だというのなら、何が起こるかわからない。
だから人の少なそうな、裏路地のまたその裏のような道を選んだ。建物の窓から人に見られたりはしたが、その人たちは何もしなかった。
そうしているうちに不意に開いた扉から出てきた人とぶつかりそうになった。
「おっと」
「あ、すみません」
シンジがつい口にした、ごく普通の言葉に相手は少し目を見開いた。
「毛色の違うのがいるねぇ」
そういってシンジを見る。シンジは警戒しながらもどうしたらいいのかわからない。そんなシンジをしばらく眺め、それからニヤニヤと笑う。
「ふーん。お前さんみたいのがなんでまたこんなところに」
シンジは答えられない。自分でもわからない。なぜ? そしてここはどこなのか。知りたいのは自分だ。
答えられないシンジをどう思ったのか、その男はバン! とシンジの肩をたたく。
「いっ!」
不意打ちとその強い力にシンジの目に自然涙が浮かぶ。
「よし! 気に入った。俺と飲もう!」
そういって腕をつかんで引っ張る。
「え、ちょ、待ってください」
そういうが男は止まらない。シンジの腕を引きながら、すっと自然に首にかかっているタグを襟から中へ落とす。そしてばさりとジャケットをかぶせた。
そのまま引き摺られて連れて行かれたのは汚いバーのような店だった。中には椅子はなく、飲み物が漸くいくつか置ける程度のテーブルが数個とカウンターがあるだけだった。カウンターには古めかしいラジカセがあり、そこからノイズの激しい音楽が流れ出している。隣のテーブルの声が聞き取りにくいくらいの音量。
男は店員に『いつもの』とだけ告げると、テーブルのひとつを陣取る。腕は放さない。しばらくしてボトルが2本置かれる。ようやくシンジの手を離すとシュワシュワと泡のはじけるその中身を一気に呷った。飲め、といわれてシンジもゆっくり壜を傾ける。アルコールと炭酸が喉を焼く。
「げほっげっぐ」
「なんだー? 全然だめじゃねーか」
あきれた声で言われる。アルコールだなんて言わなかったじゃないか、と頭で愚痴る。アルコールなんて口にしたことはないのだ。飲めるわけがない。男はシンジの手からボトルを取り、空いた自分のボトルを持たせる。
「しっかし、『すみません』なんて久しぶりに聞いたなぁ」
しみじみという風情でつぶやく。
「見えねぇが志願か?」
意味がわからないから答えられない。そんなシンジの様子を少し訝しむようにして
「ゲームに参加するためにきたんだろ?」
そう聞いてきた。『ゲーム』? それもわからない。
「? お前、どうやってここに来たんだ?」
シンジは正直に『わからない』と答えた。
「わからないって、自分で来たんだろう?」
「気がついたらここにいたんです」
シンジにはごく普通の言葉も、男にはどうも異様に丁寧に聞こえるらしい。『調子が狂う』と何度も言われながら、聞かれたことに素直に答えた。
「ありえねぇ。ここは迷い込める所じゃねーし、お前タグ持ってるし。誰がどこからどー見たって正式な参加者だぜ? んなぼーっとしてたらすぐやられて終わりだ。なのに何も知らないとはね」
どこか楽しそうな声にも聞こえる。シンジは迷ったけれど聞いてみることにした。
「あの、それでここはどこなんですか? さっきのゲームとか、あとその、さっき見たのとか。僕、できれば早く家に帰りたいんですけど」
「帰るのは無理、だなー」
「え?」
男は胸元からタバコとライターを取り出して火をつける。
「お前さんの言ってることがまぁ本当だとして、ってまぁどう見ても『外』の奴だよなぁ。外ねぇ。えーっと・・・なんつったっけ・・・。そう! 緩衝地帯! 『緩衝地帯』ってわかるか?」
聞かれてシンジは頷いた。学校で習った。大戦後大きく2つの勢力に分断された旧日本。その2勢力の境に存在する、公的には人の居ない地域。だが本当は人が住んでいる地域。どちらの統治下にもなく、まともな人間は住まない場所。簡単に言えば『ヤバイところ』。
「ここはその緩衝地帯だ」
はぁ? という声を上げなかったのは褒められることかもしれないが、あまりの馬鹿げた内容に声すら出なかっただけだった。
緩衝地帯? ここが? 自分がいる、この場所が?
「嘘ですよね」
「嘘ついてどうするんだよ」
「でも」
信じられない。先ほど気がつくまで自分は『街』で普通に学校に通っていたのに。緩衝地帯なんて行こうと思っても簡単には行けないくらい距離があるところに住んでいたはずなのに。
「ここのことをどのくらい知ってるのか知らんが、お前が首から下げてるタグ、それはゲームの参加証だ。ここではそれを奪い合うゲームが行われている。取られたら終わり。ゲームオーバー。タグを集めて手札を揃え、王を倒せば外に出られるってなゲームだ」
「これが」
そういってタグを出そうとしたシンジの手を男は止める。
「むやみやたらとタグを見せるな。狙われるぞ。お前なんかカモにしか見えないんだから、すぐ襲われて終わりだ」
それからしばらくこの場所とゲームについてシンジは聞かされた。シンジが先ほど見た光景はおそらくタグの奪い合いだろうと。対戦は基本1対1のタイマン勝負で、勝ったほうが負けた奴のタグを奪う。表向き殺すことは禁止だが、即死しないまでも勝負の結果として死ぬ事はある。緩衝地帯はそれなりに統治されており、ゲームにも監視者はいるが、すべての勝負を見てはいない。殺してしまったことがバレれば制裁を受けるがそんなことは滅多にない。だからほとんどが殺し合いに近い。殺されなくても負ければここでは生きて行けない。タグがなければ何も手に入らないからだ。
「この店の奴とか、最初っからゲーム外としてここにいる奴らはカードを持っている。カードかタグがないと食い物どころか飲み物も手に入らないからな。餓えて死ぬだけさ」
「出られないんですか」
「出た奴の話は聞かねーな。逃げた奴は『消息不明』になる。ここを出るには死ぬか王を倒すしかないことになるな」
そんな風に『ここ』のことを聞かされる。シンジの血の気は一気に引く。こんなところに居られるわけがない。確かに自分なんてすぐに殺されてしまう。体が小さく震えるのを止められない。
「とりあえず、数日。面倒みてやるよ」
男はそうシンジに言った。シンジはその言葉に縋り付いた。
朝目が覚めるとき、一瞬だけれど、目を開けたら元の生活に戻っているのではないか、と期待した。けれど体が温かい布団の中にないことは見るまでもなく明らかで。目を覚ましたくない、と考える。
男は『「面倒を見る』と言ったとおり、この街での最低限の暮らし方を教えてくれた。寝床や食事の確保。タグの奪い合いに下手に巻き込まれないためのコツ。
「その服じゃ目立ってしょーがねぇ、着替えろよ」
言われて自分には似合わなさそうな薄汚れたストリートファッションもどきに着替える。
何度か、少し遠めの安全圏からタグの争奪戦を見せられた。それはほとんど最初にみたものと変わらなかった。敗者はその場では死んでいないことが多かった。しかし誰も手当てもしてくれないような状況で放り出されたままだった。
見れば見るほど、自分が『そう』なったらすぐに負けて終わりだという思いが強くなる。
『闘う』なんて無理だ。まともな喧嘩ひとつしたことないのに。殴ることさえ、そうしないと自分がヤバイと思ってさえ、できないだろうと思うのに。
シンジは塞ぎ込んでいった。
言葉も減り、感情も鈍麻し始めたある夜。男はシンジに圧し掛かってきた。腕を押さえ込みシャツをまくり上げズボンをずり下ろす。何をされるのか分からずシンジは暴れる。
「おとなしくしとけよ。放り出されたくないだろう?」
その言葉で、シンジは恐怖に震えながらも抵抗を止める。それを見た男は笑い、シンジの口を自分の口で覆い、ねっとりと舌を入れた。シンジにはそれはキスだとは認識できず、ただ気持ち悪さと恐怖で目を閉じるしかなかった。
男はその後も毎晩のようにシンジにねじ込んだ。最初は痛みしかなく、終わると精も根も尽き果てていたが、数日で慣れた。快感は強くはない。けれど勃起することはできたし、射精もした。男と同じように楽しむことはできなかったが、最初ほど苦痛ではなくなった。
男がシンジを飼っているというのは周辺で噂になっていたらしい。場所が場所だけに、ここには女がいない。持て余す性欲は弱い物へと向かう。そんな風に暴力でめちゃくちゃにされる奴も少なくはない。そういう意味ではシンジは恵まれてはいた。男は暴力は振るわなかったし、シンジに傷を付けるようなこともしなかった。
基本的には『突っ込めれば良い』という手合いが多いが、やはり見目の良い奴や、ヤって気持ちの良いのを相手にしたいと思う者もいる。手に入るならば女が良いが、無理なら少しでも女を思わせる方がいい。
だから華奢なシンジはそういう目で見られてしまう。だがシンジにはまだその当たりのことが実感として身に迫ることはなかった。
その時までは。
男はそこそこ強かった。また人としてもまだマトモだった。男がシンジに話していたことはすべて真実だったし、『保護』も伊達や見栄で言った言葉ではなく、自信に裏打ちされている言葉だった。
外へは出られないし、出してやれもしないが、ここで問題なく過ごさせることくらいはできる。
だがそれも奪い合いでの話だ。騙まし討ちでは手の打ち様がなかった。
夜、コトが終わった後。一番油断している時間を奴らは狙った。背後から一撃。それで男は事切れる。
そのままシンジは蹂躙されることになった。
男に、そして自分に何が起きたのかを理解する間もなく、代わる代わる圧し掛かられ押し付けられねじ込まれ揺さ振られる。それは朝になっても終わらず、途中でシンジは意識をなくす。
それからどのくらいだろうか、おそらく数日。男たちはシンジを犯し続けた。シンジは思考力はほとんどなくなり、自分が何をしているのか考えることもできなかった。食事は与えられたがそれ以上に消耗が激しく、もしこの状態が続けば、シンジの体は持たなかっただろう。だがシンジはその状況からは救出される。
誰がタレこんだのかはわからない。男を知っているものたちか、同じようにシンジを味わいたくてあぶれた奴か。だが誰かがゲームの管理者に、男が不当に殺されたことを知らせたようだった。
始末人は複数いる。ゲーム参加者に有無を言わせず報復を与える立場であり、万が一にも負けるわけにはいかないためか、強さ、それも『殺せる』強さのみが目立つ存在だった。だから人格などというものは考慮されない。シンジのところに来た始末人は、中でもかなり人としては問題のある奴だった。だから普通ならばシンジも一緒に殺されていたはずだった。
しかし始末人はシンジに目を止めた。意識があるのかないのか、男を受け入れたまま呆けている姿にしばし動きを止める。すでに死んでいる男を引き剥がし、その体を撫で回す。反応を返すことももうできないシンジはされるがままで声も上げなかったが、それでも始末人はどうもシンジが気に入ったようだった。まだわずかに息のあった者に止めを刺すとシンジを抱えて去る。後にはひしゃげた死体が数体転がっていた。