彼は夢を見ている。
悪夢を。闇に呑まれる夢を。手の中から大切なものが消えて行く夢を。
彼は夢の中で泣き叫ぶ。
「やめて、もう嫌だ。嫌だ!」
目が覚める。静かな部屋。外からは蝉の声。他に生活を感じさせるような音はない。
ゆっくりと上体を起こす。ぽたぽたと涙が落ちる。夢の中の涙。
まだ夢の中? 妙に現実感がない。
不意に、恐怖が来る。
ここには誰もいない
誰もいない?
ユメノナカノヨウニ…?
逃げるように立ち上がり探す。彼を。ここに要るべき人を。
扉という扉を開けて探す。
「カヲル君。ねえどこいったの?カヲル君、いるんでしょ?ねえ、出てきてよ。怖い夢を見たんだ。
君が、いなくなる夢。ねえカヲル君どこ?」
全ての部屋を開けても彼の姿はない。不安と恐怖。
「どうして?あの夢のように消えてしまったの?僕を一人、残して」
・・・もしかしたら、彼といた事のほうが夢?僕が創り出した幸福な夢?本当は、僕はずっと一人だったのかな?
どうしていないんだ。嫌だ、独りは嫌だ。カヲル君がいない時間なんていらない。 あれが夢だというのなら、僕はずっと夢を見ていたい。
泣き出す彼。
「カヲル君カヲル君カヲル君カヲル君カヲル君カヲル君カヲル君カヲル君カヲル君カヲル君カヲル君 カヲル君カヲル君カヲル君・・・・・・・・・・・・・」
どれくらい泣いていたのか、泣き疲れた彼は転がる。
天井と、窓から青い空。
よく見ているはずなのに、知らない天井のような、いつもと同じなのにどこか透明な空。
「泣きすぎて目がおかしくなったのかな?このまま一人だったら本当におかしくなっちゃうかもね。
・・・・・・体中の水分を涙にしても良いって思ったのに、もう、出ないや。
疲れたな。このまま眠ったら、もう一度、カヲル君に会えるかな」
孤独と不安と悲しさと苦しさと。
辛い、悲しい、寂しい。一人は嫌。
玄関が音を立てて彼はびくつく。
誰?
廊下を歩いてきたのはカヲル。
「カヲル君・・・・・・」
「どうしたの?」
彼の様子にカヲルは声をかける。近づいてみると泣きはらした目。
「どうしたの?何を泣いているんだい?」
優しい声。カヲルの、声。彼は思わず抱き着いてまた泣き出す。
「・・・ぅっ・・・カヲル君が、・・・っ・・・消えちゃったのかと、思って・・・・・・」
「君がよく寝ていたから声を掛けずに出かけたんだけど、さみしい思いをさせたのかな?ごめんね」
彼は首を振って言う。
「違う、夢を見たんだ。カヲル君が消えちゃう夢。怖かったんだ。 目が覚めてもやっぱりカヲル君はいなくて、だから、本当にカヲル君がいなくなったみたいな気がして。
カヲル君がいたほうが夢だったんじゃないかって、思って」
「・・・そんなことはないさ。ほら、僕はちゃんとここにいる。こうして触れる事もできる。
君を抱きしめてあげられる」
そう言ってカヲルは彼を抱きしめる。強く、でも優しく。
彼はそれに応じるようにカヲルにしがみつく。
まだ涙の止まらない彼の頬にカヲルは口付けてその滴を吸い取って行く。 その行為でカヲルの存在を確認するように、されるがままの彼。
そしてカヲルはその泣きはらした瞳を覗き込むようにまっすぐ見ていう。
「僕はここにいるよ。君の腕の中に」
その言葉に再びカヲルに抱き着く。それをしっかりと受け止めて、二人はしばらく抱き合っていた。
そのうち彼は疲れたのか、安心したのか眠ってしまった。
カヲルは彼をベッドに運び、その額に唇を当てると小さくつぶやく。
「・・・君は、常に不安なんだね。幸福なはずの夢の中でさえ悪夢を見るほどに。
無意識が見てしまう現実を君は夢にしてしまう。いずれ、誤魔化せなくなる日が来る。
できれば僕はこのまま二人でいたいけれど、これが君の逃避である事は事実だ。
この夢が覚めるとき、君が今日のように泣く事がないように祈るよ。 その時は、僕はこんな風に君を慰められないから。
今度この目を開けるときは、そばにいるよ。せめてここで僕といるときは泣かないでいられるように」
彼の眠りが深いのを見てカヲルは側を離れる。
外はもう暮れ始めていて夕焼けが赤く部屋を染めている。
カヲルの白い髪が、瞳と同じ赤に染まる。血の、赤。
カヲルはその瞳に色素を持たない。だから血の色が見える。血の色の瞳になる。
彼はそれを綺麗だと言ってくれた。色素のない髪も、肌も、綺麗だと言ってくれた。
カヲルから見れば彼らの方が綺麗だ。生きている輝きに満ちた光。彼は確かに弱い光ではあるけれど、だからこそ綺麗だと思う。
でもその光は目に目に見えるものではないから彼はそれに気づかない。 だから、カヲルは彼をここに閉じ込めることができた。その光を自分のものにするために。
ここは二人だけの世界だ。二人だけで成り立つ世界。他者は存在しない。
互いに互いだけを必要とし、互いの為に他者を排除した世界。
他の全てのものと引き換えに互いしかいない世界を望みここにいる。
でも、本当はそんなことができるはずはない。人は多くの他人と関わって生きて行くモノだから。
ここは特殊な空間。夢の中だから、眠りつづける彼を起こそうとする力がある。
いずれ彼がそれに気づけば、外を思い出せばここも消える。カヲルごと。
カヲルはこのままでいいわけはないと思いながら、ここを維持する為に力を使う。
もうしばらく、もう少しだけ、このままここにいさせて欲しいと。
世界の儚さを思いながら、カヲルは日常に戻り、夕飯の支度を始める。
彼が目を覚ます前には終えて、起こしに行こう。
まだ、時間はあるのだから。