冬月教授に教えてもらった別荘に着く。確かにこんな場所にあるにしては立派すぎるように思う。裏からこっそりと入り込むと、明かりはなく静かだった。カヲルと私は二手に分かれる事にした。私は上を、カヲルは地下を探す。叔父様かシンジを見つけるか、1時間たったら取りあえずここに戻る事にした。
とりあえず階段を上り、奥から調べようと2階の廊下を歩いているときだった。
ズルッ・・・ズルッ・・・
と何かを引きずるような音がした。ビクリと動きを止めて息を殺す。廊下の奥から聞こえてくる。近づいてくる! そう思った。逃げ出したかったけれど、それが何かわからないという恐怖のほうが強かった。
見ないほうがいい。そう思ったけれど私はライトをその音のほうへ向けた。
丸い光の輪の中に浮かび上がったのは白い病衣のような服を着た少年。俯いていて顔は見えなかったけれど、光に気づいてそれはこっちを向いた。
シンジだった。
シンジはしばらく私を見て
「アスカ・・・?」
と私の名を呼んだ。
「アスカ・・・・・・カヲル君と、一緒なんだろう?・・・・・・どこ?・・・カヲル君は、どこ?・・・」
恐くて恐くて震える足を押さえる。
「カヲルに会って、どうしようっていうのよ・・・?」
「一緒に・・・・・・いるんだ・・・カヲル君と・・・・・・一緒に・・・・・・・・・ずっと・・・・・・・・・返って・・・・・・来たんだから・・・・・・・・・アスカ・・・教えてよ・・・・・・・・・カヲル君は、どこ?・・・・・・」
私は答えずにそのまま振り向いて走った。
地下への長い階段を降りていくと大きな扉が開いていた。その向こうは明るく、何だか奇妙なものがたくさんあった。その中でも一番奥のほうにある水槽の前に、カヲルはいた。
「カヲル!」
「アスカ」
息が切れて上手く話せない。カヲルに繋がって必死に息を整える。
「いた、いたの。シンジが。2階の廊下であったの。カヲルに会いたいって、一緒にいるって」
そういってカヲルを見たら、その視線は別のほうを向いていた。つられて私もそっちを見る。
「シンジ・・・」
ぼんやりとシンジがそこに立っていた。息一つ乱してはいない。その視線はカヲルを見ていて他の何も見えてはいないようだった。
「カヲルくん・・・」
そういってシンジは笑った。
カヲルがシンジの方へ行こうとするのを止める。
「何してんのよカヲル! あれはシンジじゃない。化け物よ。人間じゃないのよ」
「でも、シンジ君だ」
「違うわよ。シンジは死んだのよ。もうこの世にはいないの。あれは叔父様が作り出した化け物、ゾンビよ!!」
「ちがうよ」
にっこりと微笑んだままシンジは言った。
「僕は死んでないよ。こうしてここにいる。ほら、カラダだってある。返って来たんだ、暗いあそこから。カヲル君に会いたくて、その為だけに返って来たんだよ」
「違う!! シンジは死んだのよ。死んでしまったものは何をどうしたって返らないのよ。あんたはもう違うものなのよ。シンジじゃない!!」
「うるさいよ、アスカ。邪魔しないでよ。別にアスカに言ってるわけじゃない。
カヲル君。僕、わかったんだ。カヲル君も僕のこと、好きだったでしょう? 友達じゃなく、好きだったでしょう? もう一度僕に会いたいって、思ってくれたでしょう? だから返ってきたよ。ほら、カヲル君」
ふら、っとカヲルが動く。
「カヲル!」
「いいんだ。アスカ。僕も、本当に会いたかったんだから、いいんだよ」
そういって手を振り払ってカヲルはシンジの元へと行った。
「シンジ君」
カヲルは何を躊躇する事もなく、シンジをその腕に抱き寄せた。
そしてその唇に唇を寄せて重ねる。
何度も、小さく優しく何度も。
シンジもカヲルに腕を廻す。
「会いたかった」
「僕も」
それを見て私は力が抜けてしまって、座り込んでしまう。
死者が蘇ってしまった。それはとても恐ろしい事なのに、どこかで私はそれを認め始めていた。二人を見ていたら、なんだかもうそれでいいんじゃないかと、思ってしまった。
カヲルが、シンジがそれでいいのなら・・・
その時、何かが砕けるような、鈍い音がした。見るとカヲルが苦しそうに喘いでいる。何が起きているのかわからなかった。音はまだ小さく聞こえていた。シンジがその音を出しているのだと気づくまで時間が掛かった。
「!シンジ、駄目!!カヲルが!」
ゴキ
一層大きな音がして、カヲルは崩れた。はっとして腕を緩めたシンジの足元にどさりと倒れるとピクリともしなかった。
「・・・カヲル、君・・・?」
見下ろしているシンジは、どうしてカヲルが倒れたのかわかっていない様だった。
「アスカ? カヲル君、どうしちゃったの?」
私に向かってシンジは言った。表情の無い、能面のような顔で。
「シンジ。あんた、もしかして、感覚ないんじゃないの? 加減できてないんじゃないの? 今、何したのよ。あんた、カヲルの背骨、折ったんでしょ!! あんた自分でカヲル殺しちゃったんでしょっ!!!! やっぱりあんたは死人なのよ! 生きてる人とは一緒にいられないのよ!」
「そんな事ないよっ!!!! 僕は生きてる、僕はここにいる、僕はここにいるじゃないかっ!!!!」
「だが許されない存在だ」
シンジの後ろに人がいた。白髪の紳士。冬月教授が。
「君は確かに望まれてここにいるのかもしれないが、死者が蘇るような事があってはいかん。たとえ科学がなんでもできるようになったとしても、命を、死を操ってはいかんのだ。
君は、碇の狂気の産物だ。このまま見過ごすわけにはいかん」
シンジは冬月教授を見て後ずさる。緩く頭を振って少しずつ私のほうへと来る。
「どうして? 僕はただカヲル君といたかっただけだ。ずっとずっと年を取っておじいちゃんになるまで一緒にいたいだけだ。カヲル君も僕のこと好きだったんじゃないかってわかって嬉しかったんだ。カヲル君が望んでくれるんだったら一緒にいられるって、だから返ってきたのに!
嫌だ! 戻りたくない! あそこは嫌だ、あそこはもう嫌だ。
だって誰もいないんだ。真っ暗で冷たくて、ずっと一人なんだ。やっと出られたのに、戻りたくない。戻りたくない、戻りたくないよ!!!!」
「シンジ」
「どうして? ねえ、アスカ、どうしてだよ。僕はここにいるよ。体を持ってここにいるのに、何で駄目なのさ!!!! 嫌だ、嫌だ、戻りたくない、ここにいたい、カヲル君の側にいたいよ、ねえ、アスカ、嫌だよ、ここにいたいよ、アスカ」
泣きながら、シンジは私に向かって叫んだ。伸ばされたその手を取ろうとした時、冬月教授がシンジの首を突いた。
「何すんの!」
気を失って倒れたシンジを教授は抱えて水槽の奥へと進んだ。
「シンジくんを還す。死者は死者だ。この世にいてはいかんのだ。わかっているだろう? 手伝ってくれないか」
教授に言われて私は後に付いた。本当はどこかで迷いはあったのだけれど、でもこのままでよいわけがないとも思っていた。
小さな泉があった。
濁った水を湛えた水溜まりは暗く底が見えない。
「これは?」
「碇がシンジくんを蘇らせるのに使った水だ。ノートにあった泉だよ。これは底がなく、そのずっと奥に太古の神が眠っているという言い伝えなのだ。ある意味、死者の国への道でもある。だからシンジくんはここに還す」
そういって教授はシンジをその泉へと沈めた。
「封じてしまったほうがいいだろう。何かで蓋をしなければ」
そういって振り向いた教授の足元に水から手が伸びて絡まる。
シンジが這い上がろうとしていた。
教授は足掻いて何とかシンジの手を振り解くと、側にある大きな石で蓋をしようとした。
「手伝ってくれたまえ! これで蓋をしなければ」
でも私は動けなかった。
泉の真ん中でシンジが溺れている。助けを求めてもがいている。手が水面を叩く。私のほうへと手を伸ばすけれどすぐに沈んでしまう。
「シンジ!」
手を伸ばしてシンジをつかもうとする。
「何をしているんだ!」
教授が来て私を引き離そうとする。
「止めて! お願い! シンジ、手を伸ばして! シンジ!」
教授に邪魔されてもう少しの所で手が届かない。指先が触れそうで触れない。
「シンジ!」
その時、思わぬ方向から突き飛ばされる。
転んだ私の視界に映ったのは、水に飛び込む銀の髪。
カヲルがシンジを捕まえる。そして二人はそのまま沈んだ。
一瞬の事だった。
水面は浮かんでくる泡で揺れているだけで、もう波立つ事はなかった。
水面をどれだけ見つめても二人が浮かんでくる事はなかった。
呆然としている私をよそに、教授がどこからか長い棒を持ってきて、梃の原理で石を転がすと、石は、まるであつらえたかのようにきれいに泉を塞いだ。
私は声を出す事も、泣く事さえもできなかった。
「戻ろう」
教授がそういって私を立たせた。
私は酷い夢を見ているような気分で階段を上った。
結局何がどうなんたんだろう?
シンジは本当に蘇ったの? 本当に生き返ったの?
本当に死んでいたの?
本当は生きていたんじゃないの?
本当はあれは生きていたシンジじゃなかったの?
自分は何をしたんだろう?
結局何をしたんだろう?
カヲルは、シンジと共に行った。
暗い場所へシンジを追って。
私は?
私は何をしたのだろう?
何ができたのだろう?
どうすればよかったの?
ぐるぐると頭が廻って、目の前が暗くなった。
わたしもシンジのところへいくのかしら・・・?
結局は、シンジの所へいけるわけもなく、目が覚めると教授の家だった。
あのあと2階で死んでいる叔父様を見つけたと教授は言った。腰の骨が折られていて、たぶんシンジがやったのだろうと思われた。
教授が手を廻して、叔父様は事故死となり、カヲルは行方不明となった。本当の事を言った所で信じてもらえるわけもないし、別に私はそれでよかった。
ただ、カヲルの両親にだけは、信じてもらえなくてもいいから本当の事を話した。
狂人扱いされることや、私を責め立てられる事も覚悟していたけれど、叔父様も叔母様も黙って聞いて、何も言わなかった。
「ごめんなさい」
謝っても何も変らないしどうしようもないけれど、私は叔母様達に頭を下げた。
「私たちは、大丈夫だから」
その言葉で涙が止まらなくなる。
ずっと今まで泣けなかった。その分が全部、今流れていく。
シンジが好きだった。
カヲルが好きだった。
でも、私は置いていかれたのだ。
シンジの叫びが頭から消えない。生き返りたいと望まないものはいないだろうに。私はその手を取れなかったのだ。
いつか、再び出会えるのだろうか?
暗くて淋しいと言う、地の底で。
そうしたらまた3人で遊びたいと思う。
3人でいられるのなら、地の底でも構わないと思った。