「現像、ありがとう」
相変わらずの無表情で綾波が言う。
「これくらい。今日は忙しかったからね」
それには返事を返さず、マガジンを受け取るとそのまま撮影室へ行ってしまう。
接客業、と言っていいかはわからないけど、最近の病院は丁寧でにこやかな対応を求められる。この間もそういう研修があったばかりだ。でも綾波は変わらない。こと彼女に関しては、もしかしたらその方がいいのかもしれない、けど。
女性の診療放射線技師は少ない方だと思う。安全設計はされているけれど、取り扱っているのは放射線だし、やっぱり抵抗があるんじゃないかな。僕の行っていた学校でも放射線科には数えるほどしか女の子はいなかった。逆に僕らの検査技師はほとんどが女性だ。クラスで男子は二人だったし。
レントゲン撮影では、金属やボタンのついたものは写りこんでしまうために身につけていてもらうことはできない。だから検査衣に着替えてもらうんだけど、女性には女性のほうがいいかなとは思う。
そこで思い出す。
ほとんどの患者さんは問題ない普通の人だ。ただ、やっぱり時々は困った人も来る。相手が女性だと思うと途端に態度を変える人もいる。僕が偶然撮影室に入ったとき、その中年男性は思いっきりセクハラな発言を綾波にしているところだった。僕を見てすぐバツが悪そうに口は閉ざしたけど、楽しみを奪われたような不機嫌さも見て取れた。
”うわ、最低”
内心思いながら、僕はその人の撮影が終わるまでそこにいることにした。結局その人は僕をちらちら見ながらその後はろくに口を開かずに出て行った。
患者さんが出て行って、重い扉が完全に閉まったのを確認してから僕は口を開く。
「綾波、ああいう時はもっとちゃんと”嫌だ”って意思表示しないとまずいんじゃない?」
「何が?」
綾波の表情はいつもどおりの能面めいたもので。
「何がって、さっきのあれ、セクハラ発言だったってわかってる?」
「そう? 気にならなかった」
ため息。本気だこれは。無頓着というかなんと言うか。
「言われた本人がそう思わなかったらセクハラにはならないのかもしれないけど、でもあれはひどかったと思うけどな」
「脱ぐのが遅くて・・・」
「え?」
「早く着替えてくれないかしらって思ってたの」
「そっちが気になったんだ」
とにかく綾波には気をつけたほうが良いと忠告して、今回のことは僕から委員会に報告することにした。
”下手に感情を出して顔を赤くしたりするほうが相手を喜ばせてしまうこともあるだろうから、ある意味では彼女の態度は間違いではないと思うよ”と後でカヲル君に言われて、そうかとも思ったけど。そういう意味では彼女のあの無表情は良いのかも知れないけれど。それでも黙っていたら図に乗ったりもするんじゃないかと心配にもなる。看護師は外来も病棟も一人ってことはあまりない。そりゃ病室に行くときは一人かもしれないけど、近くに人はいっぱいる。でもレントゲン室はある意味で密室だ。普通は男性技師と女性患者でトラブるけど、うちでは逆の心配が必要だな、と改めて思った。
委員会ではとりあえずポスターの掲示と操作室にはまめに人が出入りするようにしようという方向になった。それもあって、今日みたいに透視が続いて、僕の手が空いてる時には現像の手伝いに行くようにしている。
綾波は何も言わない。そこまでしなくても、と思ってるのかもしれないし、助かったと思っているのかもしれないし。興味がないってのが本当な気もするけど。
「碇君は、」
操作室を出ようとしたら綾波が声をかけてきた。それはすごく珍しいことで僕は手を止めて綾波に向き直る。
「現像室で目、開けてる?」
何だろうと思いながら記憶を手繰る。
「えーっと、閉じてた、かな?」
「現像室って真っ暗でしょう」
「うん」
「目を開けてても閉じてても同じはずなのに」
綾波の話し方はゆっくりで心地よい。
「どうしてか閉じてしまうの」
「うん」
「私だけかと思ってたんだけど」
そういって少し口を閉じる。
「ありがとう」
表情は相変わらず。でもしっかり僕を見てそう言う。
「うん」
僕はちょっと嬉しくて、笑ってドアを閉めた。