その店は大通りから少し入った路地にあった。
時間を潰すためだけにいつもは行かないような通りを細かく歩いて、お店も一件一件じっくりと眺めて少し疲れてきたカヲルだったけれど、その店には何故か惹かれた。
一見しただけでは何を売っているのかは分からない。ショーウィンドウはなく、古めかしいカーテンの下がった窓がいくつかと、入り口と思われる扉があるだけだった。
カーテンはかなり低い位置でまとめてあり、ぱっと見ただけでは中は良く見えない。隙間から覗き込んで始めてわかるようになっていた。
窓から洩れる光の色が妙に懐かしく暖かい感じがして、カヲルは中を覗き込んでいた。
中にはアンティークなドレスを身に着けた少女たちが何人も並んでいた。
見た目も衣装も違ったけれど、皆一様に目を閉じ、椅子に座ったまま眠っているように見える。
お店だと思ったけれど違うんだろうか?
カヲルはなおも中を覗き込んで、少女たちを良く見ようとした。
「何してんだ?坊主」
ふいに声を掛けられて飛び上がって驚く。
振り返った先には不精ひげを生やした男が立っていた。
「とても素敵な作りのお店だけど、何を売っているかなと思って・・・・・・」
なんとかそう答えると男は笑って
「別にそんな所から覗かなくたって、中に入ればいいだろう」
そういってドアの所まで行くと大きく開き、紳士のように片手で中を指し示しながら頭を下げた。
「どうぞ、お入り下さい。お客様」
「え?」
驚いているカヲルに男はにやっと笑い
「ここ、俺の店なんだ」
と言った。
中に招き入れられたカヲルはお茶をごちそうになっていた。
調度品もどこか骨董めいた作りで(実際にそうなのかもしれないが)不思議な空気を醸し出していた。そんな中にここの店主、加持と名乗ったが、浮いてしまいそうなくせにどこか溶け込んでいた。
「プランツ?」
「そう、観用少女(プランツドール)。
聞いたことないかい?」
何を売っているのか、と問うたカヲルに加持はそう答えた。
「生きている人形だって聞いているけど。でもこの子達はとても人形には見えない」
カヲルは改めてそこに並んでいる少女たちを見る。どうみても人間にしか見えない。
「だから生きているって言ってるだろ?」
「でも寝てるじゃないか」
「買われていくまでは寝かしとかないと、寿命が縮むんだよ。
時々メンテに起こすくらいで後は寝かしておく物なんだ」
加持は二杯目のお茶を自分のカップに注ぎながら答える。それからカヲルのカップも空いているのを見て注いだ。
「で、どうやったら起きるの?」
「教えても良いけど、お前さん、買う気はあるのかい?」
以外なほどに優雅に一口飲むと、加持はカップを持ったまま人差し指をカヲルに向けて聞く。
「買わないとダメなんだ?」
「俺達以外が起こしてしまったらもう売れないからね。買う気がないなら起こせないな」
「ふーん、まあいいけど。
プランツって高いって聞いてるけど、いくら位なの?」
「そりゃピンきりだよ。
名人の手による希少なプランツだったりしたらその辺の金持ちでも買えないね」
「そこの子は?」
カヲルは一番近くにいた、三つ編みを垂らした少女を指して聞く。
「この子?この子はこんくらい」
そう言って加持はさらっと紙に数字を並べる。
普通の人間だったらひーふーみーと数えなければわからないほど0が並んでいる。
「ふーん、思ったほど高くないね。これくらいだったら小遣いで買えるかな」
そう言って加持に目線を向けて笑って見せる、カヲルの言葉に加持は値踏みするように目を細めた。
「・・・・・・坊主、どこの子だ?」
にこっと笑って答えないカヲル。
「じゃあ、一人買うから起こしてもらえるかな」
「うーん・・・どうするかなー」
頭をぽりぽりと掻きながら加持は考え込むように俯く。
「子供だから信用できない? 小切手持ってるから、心配いらな・・・」
「そうじゃない」
カップをテーブルに戻して片肘をつくと、加持は身を乗り出した。
「プランツは手が掛かるんだ。普通の植物とは違う。だから高いんだ。
高い金を出せば、簡単に枯らさないように気をつけるだろう?
お前さんは興味本位みたいだからね。売ったはいいが、枯らされたりしたらこの子達がかわいそうだ」
「そんなに面倒なの?」
「面倒っていうか・・・世話自体は簡単さ。
毎日温かいミルクと砂糖菓子をあげて、常に綺麗な状態にしておいてやればいい。だからといってミルクと砂糖菓子だけやって放っておけばいいってもんでもなくて、構ってやらないとダメなんだ。
話しかけて一緒に遊んで、愛情を注ぐ。本当はそれだけでもいいくらいなんだが」
背もたれに寄りかかり腕を組んだ加持の言葉を聞きながら、カヲルは二杯目のお茶を空にした。
「ようするにペット?」
「そう呼ぶとなんだかな。ま、近いけど違うかな。
プランツは『特別』なんだ」
「ふーん」
「どうする? やめるかい?」
「止めない」
にやついた顔で聞かれたせいで意地を張ったような言い方になる。
そんな自分にちょっとバツが悪そうに、カヲルは続けた。
「でもそんなに手が掛かるんだったらやっぱり良いのを選ばないと」
カヲルのそんな様子が面白かったというように加持は笑う。
「良いのねぇ。
プランツにも意志があるから、向こうにも気に入られないと駄目なこともあるってことは言っておくよ」
「え? そうなの?」
「多分君なら、大丈夫だと思うがね」
「急に『君』になった」
「ま、こっちも商売なんでね。じゃあ探してみるといい。君が一番気に入るプランツをね。
っと、そうそう。ちょっと待ってくれよ」
そう言って加持は奥に消え、しばらくして一人の女の人を連れてきた。
体はメリハリが効いているけれど、どこか愛嬌のある表情をしている。
「この子だよ」
そう言ってカヲルを紹介する。
その人は口に拳を当て、値踏みするようにじっくりとカヲルを見た。
「うん。確かにこの子だったらみんな起きちゃうかもしんない」
「だから悪いけど一緒に居てやって欲しいんだ」
「おっけぇ。でも変わりに食事の用意、お願いね」
「へいへい」
加持は仕方ないなと肩をすぼめて奥へと消えた。
その人は奥へと消える加持にバイバイと手を振ってから、くるりと向き直ると後ろ手に腕を組み、少し前かがみになる。
「えっとー、君、名前は?」
「カヲル、渚カヲル」
加持と比べると随分と勝手が違う感じで調子が狂う。妙に近づくのは警戒心がないのだろうか。
「カヲル君ね。私はミサト。よろしくね。
じゃ、探しましょうか、君のプランツを」
作り笑顔に見えなくもなかったが、それでもにっこりと笑うとミサトは奥へと案内した。
案内された部屋には四方にプランツが並んでいた。皆一様に椅子に座って目を閉じている。ちょっとだけ不気味な感じを受けて、でもカヲルはすぐに一人一人をじっくりと検分し始める。
目はプランツに向けながら訪ねた。
「聞きたいんだけど」
「何?」
「さっきのはどういう意味?」
「さっきの?」
壁に寄りかかる様にして胸元当たりの髪をいじっていたミサトは、視線を上げてカヲルを見る。
「みんな起きちゃうって」
「ああ、あれね。プランツは波長の合う相手に出会うと勝手に起きちゃうのよ」
壁際を離れてカヲルの側に立つと、眠っているプランツ達の豪奢なフリルや飾りを直し始める。
「普通はね、自分と相性のいいプランツだけが反応するんだけど、時々どんなプランツにも気に入られちゃう人がいるの。
君はそう言う波長を持ってるみたいだから、下手したらここの子達みんな起きちゃって困るってこと」
その答を聞いて今度は視線をミサトに向けて問う。
「あなたと一緒だと平気なの?」
ミサトの方は変わらずプランツたちの世話に手を動かしつつ答える。
「うーん、ま、ね」
「どうして?」
「それはぁ、ないしょ」
「内緒」の所だけカヲルを見て、人差し指を口に当てた。
「ふーん」
なんか変な人だなぁと思いながらカヲルは視線をプランツに戻した。
「まだ決まんないのぉ!?」
プランツ用と思われる椅子に持たれて、ミサトが情けない声をあげる。
「もうちょっと」
カヲルは相変わらず一人一人のプランツをじっくりと検分している。
「もう一時間よぉ。うちの子達もう殆ど見たじゃない。何が気に入らないのよ」
背もたれの上に腕を組み、さっきから一分と置かずに文句を言っているが、カヲルの耳にはほとんど届いていなかった。
「気に入らないっていうか、せっかくだからもっとこう、」
「こう、何よ」
「うん・・・・・・」
「もういやっ」
ミサトは泣きそうな声で空を仰ぐ。
”コンコンコン”
開いていたドアをノックして加持が顔を出す。
「おーい、ちょっと一服しようや」
その一言に天の助けとばかりにミサトは飛びつく。
「やったぁ、ラッキー。休も休も」
最初にお茶をごちそうになったテーブルに、今度は三人分のカップが用意されていた。
甘い匂いのするホットミルクがなみなみと注がれる。
「いっただっきまーす」
そういってミサトは両手でカップを持つと嬉しそうに口にする。
「んんっ、おいし。やっぱ加持のいれてくれたミルクはおいしいわ」
「お褒めいただいて恐悦至極。
少年、どうだ? うまいだろ」
得意げな加持に対してカヲルはしごく真面目な顔でミルクを眺めている。
「そうですね。ここまでおいしいミルクはうちでも滅多に飲まないですよ。こんな店には似合わないな」
「こんな店ってなんだよ。かわいくないなぁ。
それは一級品のミルクなんだよ。プランツに飲ませるための最っ高のものさ」
その答にカヲルは目を見開く。
「プランツってこんな良い物飲むの?」
「当っ然。でもま、普通のお客さんはここまでの物は買わないよ。ちょっとは落ちる。それでも市販の牛乳なんかじゃダメだからね。
まあ、お前さんならこれくらい飲ませられるだろうけど」
「めちゃくちゃお金かかるじゃないか!」
「だから世話が大変だって言ってるだろ?
ミルクをニ級品にするのなら、その分愛情をやるんだよ」
「ふうん・・・」
なんだか納得していないという顔のカヲルに加持は少しまじめな顔で問う。
「プランツ買うの、止めるか?」
「止めない。けど、気に入る子が見つからなくて」
溜め息を吐くように言うカヲルに、今度はからかうような笑顔を向け、ミルクを継ぎ足してやる。
「面食いなんだなぁ、みんなかわいいぞ」
「別にかわいくないとかいうんじゃなくて。なんていうか、こう、ビビビッ!ってのを期待してるんだ」
「運命ってやつね」
「そう、そんな感じ」
つんつん、とミサトが加持の肘を引く。
「ん?」
「もう一杯。お願い」
「はいはいお姫様」
そういって加持がカップに注ぐのを、ミサトは子供のような笑顔で見ている。
ニッコニコの笑顔でミルクを飲むミサトに、あきれ顔でカヲルが言う。
「ミルクくらい自分で注げばいいのに」
「まぁ、こいつは特別なんだよ」
「ぷはぁ、おいしかった。ねえ、他の子達の分、あげてきていい?」
幸せ一杯といった顔のミサトから、加持はしょーがないなーとカップを受け取る。
「ああ、頼むよ。でも奥でな」
「わかってるって」
ウインクを残して行ってしまったミサトを眺めて、呆れたように
「かわいいんだか、変わってるんだかわからない人ですね」
と言うカヲルに、加持は苦笑いしながら
「まあ、仕方ないさ。あいつは特別なんでね」
と答えた。
そう言えばさっきも特別とか言ってたなと思う。なんとなく、恋人だからというニュアンスとは違う風に感じたカヲルは、
「何がどう特別なのか、聞いていいですか?」
と聞いてみる。
加持はいかにも客用の笑顔を向ける。
「君が自分のプランツを見つけたら教えてやろう。さて、どの子にする?」
その言い方に、本当にこんな人がプランツを扱っているのかと不思議に思う。
しかし、すでに一時間以上もここにいる。あまり長居しても迷惑だろうと、カヲルはカップを空にして立ち上がった。
残りのプランツの数は少ないから、すぐに見つかるだろうさ、と加持は言ったが、結局その後三十分かけて残りのプランツを見、またもう一度全部のプランツを見直したけれど、カヲルは「この子!」というプランツを見つけられなかった。
「お前、自分が綺麗な顔してるから駄目なんじゃないのか?」
さすがに加持も溜め息交じりにそういう。
別に美醜の基準がずれているとも思わないけれど、最高級と言われるプランツから曰く付きのものまで全部見せてもらったのに、カヲルには今一つピンと来るものがなかった。
「さっきミサトさんは、僕はプランツとの相性が良いとかなんとか言ってたけど、それ間違いなんじゃないかって気がしてる。どっちかっていうと嫌われてるんじゃないかなぁ」
「そんなことないわよ。絶対に君はプランツ好きするって」
ミサトはムキになって言ったけれど、カヲルはもう諦めて帰るつもりになっていた。
プランツへの興味自体はまだあるけれど、なんとなく意地になっていたのも確かだし、後日別のプランツが入荷したらまた連絡を貰ってもいい、などと考えていた。
「じゃあ、後一人だけ、会ってみてよ」
ミサトが今まで見せなかった真剣な表情でそう言った。
「おい、もう一人って」
加持が慌てた感じで言う。ミサトは真剣な表情のまま、加持に向かう。
「だってここまでダメなんてあり得ないじゃない。もしかしたら、この人はあの子のものなのかもしれない。
だから他の子達じゃダメなのかも」
「もう一人? まだ他にプランツがいるの? でもこれで全部だってさっき・・・」
カヲルの問いに加持は頭を掻きながら「うーん」とか「あ〜〜」とか言いながら、少しだけミサトを睨んだ。それでもミサトは視線を逸らさない。
加持は一旦カヲルを見、視線を落し、もう一度カヲルを見る。
そして大きな溜め息を吐いた。
「できれば見せたくないんだがね」
そう言ってカヲルを店の奥の奥へと案内した。
「魅入られるってわかるか?」
一番奥と思われるドアの前で、加持はまだ逡巡しているようにしばらく黙り込んだ後、そう言った。
「言葉の意味は知ってるけど、でも経験はない」
その答えに加持は軽く笑う。
「お前さんの年で経験があったらそっちの方が恐い。
・・・・・・ここにいるプランツは、人を虜にする」
「虜にする・・・」
「そう」
でもカヲルは、プランツというのは結局そういう存在なのではないだろうか、と思った。
そう問うと
「レベルが違う」
と加持は答えた。
「確かにプランツは人を魅了する存在だ。それが彼女達の存在価値で、生きていく手段だ。
彼女達は自分の主人を選び、主人に甘えて微笑みかける。だから人は彼女達を可愛がり世話する。
だが、この子は今まで一度も起きたことがない」
「起きたことがない?」
「それでもいいといって買っていったのが、今までに三人」
それが多いのか少ないのかカヲルには分からない。
「プランツは大体一人の主人しか持たない。持ち主が死んだりすることもあるけど、大体はプランツのほうが先に寿命がくるからな」
「寿命があるんだ」
「当たり前だろう? 生きてるんだから、死ぬ日もくる。
だから三人ってのは多い。俺は他に知らない」
加持はどのくらいこのプランツの店をやっているのだろう?
プランツの店がここ一軒ということはないだろうし、店同士のつながりがあれば色々な噂も聞くだろう。
それでも『知らない』というのならそれはとても珍しいことなのだと思う。
「三人とも家族や知人が無理矢理返品してきた。返品された後で買主が返してくれと言って来たが返さなかった。
すごい形相だったぜ?
三人ともこの子の側から離れなくなったそうだ。目も開けず眠りつづけるプランツのそばで、持ち主は眠らずにぶつぶつと話かけ笑いかけ頬を撫でる」
「それは・・・・・・」
異様な風景だっただろう。起きないプランツ、それはもうただの人形だ。
人形に話し掛けつづけるなんて普通じゃない。
人を虜にするプランツ。自分もそうなってしまう・・・?
「だからこの子はもう店には出さないことにした。このままここで枯らすのは本意じゃないが、仕方がない。
できればお前さんも、会わせたくはない」
そういって加持はミサトを見る。ミサトは黙って加持を見返す。
「こいつは全てのプランツが好きだから、この子にも幸せになってもらいたいんだ。
だが、俺はプランツより人間を取る。
悪いことは言わん。他のプランツにしろ」
「加持!」
加持の台詞にミサトが声を上げる。そしてカヲルを見た。
カヲルは考える。自分もおかしくなってしまうかもしれない。宝石とかにもそういう魔力を持つものがある。
たぶん、そういうものなんだろう。
だがこの店のずべてのプランツを見てもピンとこなかった。最高級品という子も見た。けれどどこか違った。
今後新しいプランツが入って見せてもらったとして、果たしてその子を気に入るだろうか?
プランツを諦めるか、この子を見るか。
どちらかだとカヲルは思った。
「・・・・・・もし、僕と会ってもそのプランツが起きなければ、結局その三人と同じってことだよね?
その時は僕が何を言っても引き剥がして外に放り出してくれるかな?」
そのカヲルの顔が、あまりにも普通だったので加持は気が抜けた。そして、もしかしたら、と思う。
「わかった。そんときは殴って気絶させて放りだそう」
「顔が戻らなくなりそうだ」
「お前さんなら大丈夫な気がするがね」
言葉では茶化してそれでもまじめな顔で加持は鍵を射しこみ、しばらく目を閉じた。
それから、ガシャリ、と古臭い重々しい音がして、扉があく。
そのプランツは『少年』に見えた。
真っ黒で濡れたように艶やかな髪。着ている服も光沢のある黒。中国風の長い上衣は蓮の花が大きく刺繍されている。
伏せられた睫。薄い唇。肌は白すぎることもなく、血の通った温かい色をしている。
今まで見たプランツの華美なことと比べると、寂しいくらいに質素に見えるが、使っている素材は高級品だ。
ああ。
カヲルは嘆息する。
この子だ。
そう思った。
心はすぐにも引き寄せられているのに、体はなぜだか駆け寄ることができなかった。
ゆっくりと一歩一歩近づいていく。数歩の距離をとても長く感じながら、やっとその側に立つと、その頬に手を伸ばした。
真珠のように光沢のある肌に、安らかに眠っているようなその表情に、手が止まる。
まるで初めて好きな子に触れるときのように鼓動は早まり、緊張して怖くて、手が展ばせない。
早く早くと急かす自分と、どこか恐れ慄いている自分。こんな風に竦んでいる自分をどこかで信じられないと思う。
一度目を閉じて、ゆっくりと息を吸う。軽く止めて、長く吐く。それから、もう一度その子を見た。
”コノ子ダコノ子ダコノ子ダ”
頭の中で繰り返す声。
そうしてやっとその頬に触れる。
柔らかくて温かかった。
もう一方の手も展ばして両手でその頬を包む。
ぴくり、と反応してその伏せられた睫がゆっくりと開いていく。
まぶたの下には髪と同じく艶やかな黒。
何度かぱちぱちと瞬きをすると、その瞳がカヲルを捕らえた。
そして、花が開くように、ふわりと、優しく微笑む。
カヲルは思わずその子を抱き締めていた。
プランツはゆっくりと手を上げ、カヲルの背に回す。
その様子を加持は信じられない思いで見ていた。
まさか本当にこの子を起こすとは。
そして目覚めたプランツの放つ芳香に自分も惑わされそうで、数歩下がる。
ふとミサトを見ると嬉しそうに笑っていた。そして加持の視線に気づいて笑いかける。
その様子に、ミサトはプランツからの芳香を感じていないのだと悟る。
そして自分はミサトを選んでいたのだということも思い出す。
ミサトの笑顔で加持は呪縛から解放され、その肩に腕を伸ばして抱き寄せた。
しばらくプランツを抱き締めていたカヲルは、その腕を放しもう一度その顔を見る。
微笑むその顔に、その顔を見るだけで、とても嬉しいと思う自分がいる。
こんなことがあるなんて。自分がこんな風になるなんて。
ゆっくりとその子に口付ける。
そしてその両手を取ると名を告げた。
「僕はカヲル。渚カヲルだよ。よろしくね」
プランツはその言葉に頷いて、今度は自分からカヲルの首に腕を回して抱きついてきた。
その細い柔らかい体を抱き締めて、カヲルは陶酔していた。
「とりあえずその辺にしておかないか」
無粋にも声をかけたのは加持で、カヲルは邪魔だと思ったものの、ここが加持の店であることもようやく思い出してプランツを離す。
振りかえって加持を見ると苦笑と言えるような困った顔をしていた。
「運命と出会ったとはいえ、いきなりキスまでするかね」
加持の言葉に全部見られていたことを思い出し、思わず赤面する。それでもこのプランツと出会ってしまった事実の前ではそれも小さな事だった。
確かにこの子は特別だった。この子だけが特別だった。
『運命』
加持の例えに納得する。
「いいじゃないですか。やっと出会えたんだから」
そうだ、やっとだ。こんな路地裏に入りこんでしまったのも、この店に妙に惹かれてしまったのも、きっとこの子が呼んでいたんだ。そう思う。
「今更だとは思うが、その子は男の子だから」
「ええ、わかってますよ」
プランツにも男の子がいるのか、といった疑問が頭にないわけではない。しかしそんなことはどうでも良いことだった。
加持も、出会ってしまったものには何を言っても仕方がないとわかってはいたけれど、先に言うのを忘れていたのは事実だし、目の前の二人が男の子同士だと言うのも事実だし、本当に今更だけれど確認はしておく必要があるだろうと思ったまでだ。
カヲルはプランツに向かいなおしてその瞳を見つめて名を問うた。
にっこりとした顔のままプランツは僅かに首をかしげる。
変わりに答えたのは加持だった。
「一応銘もあるんだが、その子を連れてきた人は『シンジ』と呼んでいたよ。でもその子は君のものだから、君が好きにつけても構わない。持ち主のつけた名前で彼女達は納得するから」
「しゃべらないの?」
この子の声が聞きたかったのに。読み取るまでもない言外の響きに加持は笑う。
「いずれは喋るさ。君がこれからも根気良く話しかけてやればね。なんせ長いこと眠ってたんだし、時間は掛かるかもな」
「普通に話すようになるんだ」
「普通、とは違うかな? あんまり長い言葉は話さないよ。それでも答えてはくれる」
「ふーん」
どんな声なんだろう? 最初は何て言うかな? そう思うと心が騒ぐ。早く聞いてみたかった。できれば名前を呼んで欲しい。
「シンジ君」
そう呼びかける。返事が欲しくて。でもシンジは笑ってカヲルに抱きついただけだった。
まあ、仕方がないか。そのうち喋ってくれるだろうし。
カヲルはそう自分に言い聞かせる。
「ま、こんなところにいつまでもいてもな。こっちにおいで。売買の手続きもしないといけないし」
加持がそう言って手招く。
その言葉でカヲルはシンジがプランツで売買の対象であることを思い出す。
『買う』という言葉が似合わないほど、すでにシンジは自分のものと思われて、何だか不思議な気持ちになる。
さっきお茶を貰った部屋で売買契約を交わす。シンジは思っていたほど高くはなかった(それでも結構な額だ)。
理由を聞くと、
「言葉は悪いが売れ残りだしね。希少価値はあるけど、商品として見た時にここまで売れないとどうしても値段も下げざるをえないのさ」
という答えが返ってきた。
シンジに決めたときに値段を知っていたわけではないし、別に知らん顔で値段を吊り上げてもよかったのに、というと、
「俺はまっとうな商売人なんでね。そういったことはしない事にしている。信用が第一なんだよ。それに、」
結局、プランツは手が掛かるし専用品も多い。これからの付き合いもあるので、不利益ではないと笑った。
「ま、お前さんならうちで買わなくても上級品をそろえられるだろうけどな。できたらうちで買ってくれるとありがたい」
「そうしますよ」
二人の会話を聞きながら、カヲルの隣でシンジがにこにこと笑っている。その目はカヲルを見つめていて、加持は少しだけ嫉妬に近い感情を持つ。
誰に売る気もなかった。ずっとここにいればいいと思っていた。
売れるとも思っていなかった。
それでも、売れれば売れたで、ましてやこんな風に笑ってるのを見ると、自分まで嬉しいと思ってしまうのも事実だった。
できれば幸せになって欲しいと思う。
「いらない忠告かもしれないが、あまり誰にでも見せないほうがいいだろう。前歴が前歴だから、誰がどう狂うかわからないしな。すでに主人に出会ってしまったから、もうやたらと人を魅了することはないかもしれないが、気をつけるにこしたことは無い」
その忠告にカヲルは神妙に頷く。加持自身が一瞬惹かれていた事も、なんとなく気づいていた。
たぶん、加持だからそれだけですんだんだろう。
カヲルは加持に電話を借り、迎えを呼ぶ。それまで少し休ませてもらいながら、ミルクや砂糖菓子や着替えと言ったものも購入する。それらを箱詰めにしている加持を見ながらカヲルはふと思い出す。
「そう言えば、ミサトさんが特別って言ってたけど、それってどう言う意味だったの?」
「ああ、あれか。信じなくても構わないがね、あいつは元々プランツだったのさ」
「え?」
ミサトを見る。どう見ても普通の人間に見えた。今まで見せてもらったどのプランツとも、シンジとも違う。
プランツの持つ儚げな印象とミサトの持つ活動的な印象とでは、どう頑張っても重ならない。
そんなカヲルの思いが顔に出ていたのだろう、加持は何度目になるか解らない苦笑を浮かべる。
「あいつだってただのプランツだったころはおとなしかったんだよ。ガサツなのは俺に似たっていうか、ま、俺の影響ってやつだと思ってくれ」
「っていうか、プランツって人間になるの?」
聞いたことがなかった。プランツ自体確かにそんなに見ることはないし、噂でしか聞いたことがなかった。でもその噂の中にだって、人間になるというものはなかったと思う。
「人間になるっていうとちょっと違うかな。プランツはプランツだよ。ただ何ていうか、そうだな、成長するんだ。俺も自分のがそうなるまで知らなかったし、そうそうある話じゃない。知らない奴の方が多いさ。
原因不明の奇病とも言えるかもな。永遠の少女がいずれ醜いババアになっちまう病気だ。どっちが良いのか俺には判断できんが、ま、こいつに限って言えば、一緒に白髪頭になるのもいいかと思っている」
老化と引き換えに人と同じくらいの寿命を手に入れるのだと加持は言った。
基本的にプランツに求められているのは『不変』だ。
永遠の少女。
観賞物として、短い時間を美しく咲き散る。まさに華。観賞するための少女。
散って欲しいと思って買うものはいないだろう。しかしいずれ散る未来と引き換えに持ちうる儚さも、確かにプランツの魅力の一つだ。だから年を取ることを良しとしない者も少なからずいるだろう。
シンジに永遠に変らずに存在して欲しいとは思う。でもプランツの寿命は長くはない。ずっと一緒にいる為には変化が必要で、それがシンジにとって良いことなのかカヲルにはわからない。
でもカヲルは、自分と一緒に成長するシンジを想像してしまった。多分、自分はそれを受け入れるだろう。青年になりいずれ中年になり老人になったとしても、シンジであることは変らないと思う。
「どうしたら成長させられるの?」
「わからんよ。俺だってどうしてこいつが成長し始めたのかわかってないしな。まともに研究もされてないから、どうして成長するのかなんて誰も知らないのが現状だ。
だがお前さんなら、いつかシンジ君を成長させられる気がするね。勘、だけど」
「だといいな」
迎えが来て、カヲルはシンジを連れて乗りこむ。
加持に改めて礼を告げ、店を後にした。
隣で微笑むシンジを見て、口付けたい衝動にかられる。それを何とか抑えてカヲルは微笑む。
とりあえず僕の名前を言ってもらうことからかな。
そう自分に言い聞かせて、カヲルはシートに身を沈めた。