たかが小学生には、大人に刃向かうことなんてできなくて、僕らは早く大人になりたかった。
絶対に傷つけられたりしない強い大人に。
カヲル君はいつも痣だらけで学校に来ていた。先生も知ってる理由。でも誰も助けてくれない。
夜毎、お酒を飲んでは暴れてカヲル君を殴るその男を、みんな知ってて近寄らない。
お酒のせいで感情にはムラがあって、カヲル君を連れて行こうとすると泣いてすがって引き止める。
自分には他に誰も居ない、大事な息子をつれていくなと。
結局他人でしかない周囲の大人には、親子と言う理由を出されたらどうしようもなかったらしい。
僕は友達の輪にまざれない子供で、同じように外れたところからみんなを見ているカヲル君が気になったのはとても当たり前のことだったと思う。
僕らは互いの家のことを、互いにだけは正直に話した。僕らはどっちも母親を亡くしていて、父親に恵まれていなかった。
僕の父さんは暴力は振るわなかったけど、ほとんど僕に構ってくれない。僕が起きるより早く仕事に行って、僕が寝てから帰ってくる。
帰りを待って遅くまで起きていて怒られてからは、僕はほとんどあきらめてしまっていた。
一言も交わさない日が何箇月続いても、父さんは全然平気みたいだった。
カヲル君と仲良くなって、痣の理由を知って、僕はカヲル君を家に連れて帰った。
わざわざ殴られに帰る必要なんてないんだから、これからは僕の家で暮らせばいいって言って。
無断でカヲル君を泊めたけど父さんは全然気づかなかった。
そうして数日たった頃、カヲル君のお父さんは捜索願いというのを出したらしくて、僕らは学校の先生に呼び出されてカヲル君は家に連れて行かれてしまった。
「だって、あの人カヲル君を殴るのに、どうして帰らなきゃいけないのさ。
僕の家に居たほうがカヲル君は安全なのに!」
僕は先生にそう言ったけど、先生はあいまいに笑って、なんかいろいろ言って僕をごまかした。
父さんも「あの子供とは関わるな」と僕を叱った。
いつもは全然構ってくれなくて、僕が寂しくても放っておくくせに、こんな時だけ好きなことを言ってって思った。
後に知ったことだが、以前にカヲル君を引き離そうとした先生が暴れた父親に包丁で刺されて死にかけたことがあったらしい。
新聞沙汰にまでなって大変だったらしいけれど、子供の僕の耳には入っていなかった。
先生はそれを知ってて尻込みしてたんだろうし、父さんも知ってたから僕を叱ったんだろうと今ならわかるけれど、あの時はますます父さんを嫌いにしかなれなかった。
それからカヲル君の痣は増えた。
カヲル君はいつも少し怒ったような顔をしていた。僕といる時は少し笑ってくれたけど、ちょっとだけで。
そしていつも「悔しい」って言ってた。
「あんな奴なのに、子供だって言うだけで我慢しなきゃいけない。
ご飯を食べたりするのに我慢しなきゃいけないなんて。
あんな奴、父親なんかじゃない。大っ嫌いだ。いつか絶対出てってやる。
早くひとりでも生きていけるようになって、出て行くんだ!」
そういうことを言う時のカヲル君の目は、とても冷たくて、とても痛くて。
カヲル君には笑っていて欲しいのに、僕には何にもできないのが悲しかった。
大人だったら、カヲル君と一緒に暮らせるような大人だったら。絶対に邪魔はさせないのに。
子供という事実はいつも僕らを絶望させた。
どうしてだろう?僕らは僕らなりに一生懸命がんばってるのに、子供だと言うだけで父さんも先生も味方にはなってくれない。
何を言ってもまるで違う世界のことみたいに取り合ってくれない。
僕らはちゃんと考えてるのに!
痣がひどいカヲル君を見かねて父さんにお願いした。
やっぱり大人じゃないとどうしようもないと思ったから。
「カヲル君を家に呼べないの?」
でも父さんは
「こんなに遅くまで起きてるんじゃない。
人様の家の事情には、口出しするわけにはいかんだろう?役所だってあるんだから、お前が気にすることはない」
そんなことしか言わなかった。
僕はもう悲しくて悲しくて。
だってもうどうすればいいのかわからなかった。
このままじゃカヲル君、殺されちゃうかもしれないのに、どうしてそんなことが言えるんだろう?
父さんはカヲル君の痣だって見たこと無いのに、どうしてそんな風に言えるんだろう?
どうして誰も助けてくれないの?
そうなったらもう僕はぐちゃぐちゃで、
「父さんなんて、大っ嫌いだぁ!!!!」
泣いてわめいて部屋へ駆け込んで、ずっとベッドで泣いていた。
次の朝は泣きすぎて頭がガンガンしたけど、僕はカヲル君に会いに学校へ行った。
カヲル君は左目に大きなガーゼを当てていて、腕や足にも包帯がぐるぐるで、ものすごい状態だった。
僕が話かけても一言も話せなかった。
口が切れて開けないらしくて、お昼も保健室で先生が用意したゼリーみたいなのをやっとこ飲んでいた。
その日の放課後、僕らは教室に残っていた。カヲル君が帰りたがらなかったから。
そしてカヲル君は痛いのをこらえて、小さな声で僕に言った。
「もう限界だよ。これ以上いたら死んじゃう。
だから僕はここから出ようと思う。家から少しだけどお金を取ってきたし、要りそうなものも用意してある。
シンジ君。シンジ君も一緒に行こう」
僕はためらいもせずに肯いた。
僕は準備なんてしてなかったから、一旦家に帰った。カヲル君も一緒だった。
何かあった時に、といって預けられてた財布のお金を全部と、自分の持ってるお小遣い、それとパンとかお菓子とかすぐに食べられるものに着替え。
リュックに詰め込んで僕らは家を出た。
とりあえず駅へ行って、今まで行ったことの無い知らない駅までの切符を買う。
小学生の持ってるお金で、小学生にとっての未知の世界だから、そう大した場所ではなかったけれど、その時の僕らは決死の覚悟だった。
知らない町で列車を降りる。
カヲル君は包帯姿だし、子供二人ということもあってか、駅員さんたちにじろじろと見られたりしたけど僕らは無視する。
もう当たりは暗くなってきていてとりあえず僕らは寝る場所を探した。
公園のトンネルの中で二人で小さくなる。
少し寒かったから僕らは抱き合って眠った。
その日の食事は僕の持ってきたパンだった。
朝、目が覚めると雨が結構降っていた。
「傘、持ってくれば良かったね」
そういってそこで丸くなってる。僕らを見かけたおばさんが声を掛けてきた。
「どこから来たの?迷子なの?お巡りさんのところへ行きましょうか?」
平日の真っ昼間から子供がこんなろこにいたら怪しいだろうけれど、家出だとばれていたのかもしれない。
「僕たち、親戚のおじさん家に行くところなんですけど、雨宿りしてるんです。だから気にしないで下さい」
カヲル君がそう言ったけど、おばさんは信じなかったみたい。
小さくお巡りさんに言おうかしらなんて言ったのが聞こえたからカヲル君は僕の手を引いてトンネルを出る。
「行こう」
引き止めようとするおばさんを振り切って僕らは走った。
どうしても子供ふたり(それも片方は怪我をしてる)というのは目立ってしまうらしく、あちこちで声を掛けられた。
だから僕らはだんだん人の居ないところを目指して歩く。
雨は全然止まなくて服はびしょびしょだった。
橋の下で雨をしのぐ。今日はここに泊まろうと言うことになった。
お菓子の袋をあけて食べる。
着替えも濡れてたけど一応、びしょ濡れの服は替えた。
雨は止まない。夜がふけるに連れて、寒さが堪えてくる。
僕もカヲル君もがたがた震えながら無理矢理眠ろうとした。
でもうつらうつらさえできないでいた。
僕は、熱が出てきてるのを自覚していた。
体が震えて、寒いんだけど熱い。
でもカヲル君も寒そうに震えてたし、帰るわけにもいかないから、何も言わなかった。
夕方頃に雨が止む。リュックを隠し、お使いのようなフリをして僕らは買い物に出かけた。
お金もたくさんあるわけじゃないから、パンと牛乳くらいしか買わなかった。
同じ処にいるのはよくないだろうってことで、近くにあった神社の境内へと移動する。
小さな社は近くに社務所もなくていい感じだった。
買ってきたものを食べて、僕らは早々に寝る。
僕の熱は全然下がらなくて、どちらかと言えば上がってきていた。当然と言えば当然なんだけど。
そのせいか頭がぼぉーっとして考えてることがぐるぐると回り出す。
どこかでわかっていたんだ。こんな家出がうまく行くわけがないことは。食べるものを手に入れるだけでも大変なんだから。
今はお金もあるけど、なくなったら誰かに貰うとか、でなければ盗むしかなくなるだろう。
稼ぐことも、まったくできないわけではないだろうけど難しい。
でも、戻りたくなかった。
朝、僕は起きるのがひどく億劫だった。
カヲル君が心配そうに覗き込んでくる。
大丈夫だよって笑ったけど、多分調子が悪いのはばれてる。
カヲル君は辛そうな顔をして、それでも何も言わなかったし、僕も言わなかった。
なるべく人目につかないような小さい道を選んで。
小さな踏み切りから、僕らは線路に入り込む。
前後に長く伸びる線路。
じゃりじゃりと音を立てて、何も言わずに黙って歩いた。
時々僕が転びそうになるのを、カヲル君が支えてくれた。
体が結構熱くなってるのがカヲル君にもわかっただろうけど、仕方なかった。
かなり長い距離を歩いていたと思ったけれど、通ったのは貨物列車が1台だけ。
貨物線だったのかもしれない。
夜になって小さな駅に着いた。
「ここで休もうか」
ずいぶん久しぶりに聞いたカヲル君の声は、小さくて、僕はちょっと悲しかった。
ホームで座り込んでしまうと僕は動けなかった。息も荒い。
このままじゃカヲル君の足を引っ張っちゃうなと思った。
ここまできても僕はカヲル君と離れる気は少しも無くて、このままずっと居られることを一生懸命願っていた。
「カヲル君」
「何?」
「僕、少し眠ってもいいかな?朝になったらちゃんと起きるから」
「構わないよ」
「絶対に起きるから、寝坊しても置いてかないでね」
そう言って僕はカヲル君の袖をつかんで、気絶するように眠ってしまった。
本当はちゃんと目を開けていたかったんだけど、カヲル君に心配掛けたくなかったんだけど、
できなかった。
気がついたら、僕は病院のベッドにいた。父さんが見えて、僕はちょっと驚く。
まだ熱があるぼんやりとした頭で僕は聞く。
「カヲル君は?」
「見つかってはいない」
カヲル君は、僕を背負って近くの家の戸を叩いたらしい。
「救急車を呼んで下さい」と小さな声で言ったそうだ。
その後しばらくは僕についててくれたらしいけれど、救急隊の人はその家に残っていると思って、家の人は救急車に乗っていったと思って、後で確認した時にはもうどこにも居なかった。
僕は泣き出してしまう。カヲル君は行ってしまった。
ひとりで、僕を置いて行ってしまったんだ。
本当は、本当はとても寂しがりなのを僕は知ってる。ひとりが嫌なのを僕は良く知ってるのに。
一緒に、行けなかった。
ひとりで行かせてしまったのが、ひとりで行くことを選んだカヲル君が悲しかった。
嗚咽を漏らしながらただ泣く僕の頭を、父さんは撫でてくれた。
それで僕はもっと泣いてしまう。
もう、会えない。
僕はカヲル君を忘れることはなかった。
テレビや雑誌の人込みに銀色の髪を探してしまう。
遠くの街に行けば、ぼんやりを人の群れを眺めてはやっぱり探してる。
きっとどこかで元気にしていて、幸せでいてくれるように。
あの冷たかった瞳に、今は何か別のものが見えていることを願う。
カヲル君をなくしてからおじさんはますますお酒が増えて、ある日酔って川に落ち、死んでしまった。
僕の父さんは相変わらず忙しそうにして構ってはくれないけど、あの時の手を覚えているから、僕には十分だった。
あらから十年が過ぎて大学生になったある日、差出人不明の葉書きが一枚届いた。
手書きでどこかの山の絵が書いてあった。
見覚えのある宛名の文字が、とても嬉しかった。