いつもはほとんど家にいない父さんが、珍しく休日に休みだというだけでもすごいことなのに、その日、父さんは朝から信じられないことを言った。

「今日は天気もいいようだな。休日にこうして二人なのは随分久しぶりだな。・・・・・・ドライブにでも行くか?」

思わずパンを食べていた手が止まった。父さんは新聞を見たままで視線も上げてない。いつもは「行儀が悪いよ」なんて言うんだけど、それどころじゃない。
僕は父さんが私用で出かけるのを見た覚えがない。散歩も買い物さえ行かないのに「二人で」「ドライブ」と来たものだから、あまりの出来事に言葉が出ない。

「シンジ、聞いているのか?」
「え? う、うん。聞こえてるよ。え、と、ドライブって、あの・・・どこに?」
「そうだな。海でも見に行くか。この間冬月が綺麗だと言っていた場所がある」
「うみ」
「なんだ? 嫌なのか?」
「ち、違うよ。ただ、珍しいなって思って。・・・って、ドライブってことは、車、で行くの・・・?」
「当然だな。他に何で行けばドライブなのだ?」
「え? でも、あれ? 父さん、車乗れたっけ?」
「運転免許は持っている」
「持ってるって言ったって、ペーパーなんじゃ・・・」
「半年前にもちゃんと運転している」
「はんとしまえ・・・」
「問題ない。泳ぎを忘れないように、車の運転も忘れないものだ」
「そう・・・かなぁ」
「嫌ならいい。私一人で行く」
「嫌じゃないよ! 行くよ、もちろん。ただ、ちょっと気になっただけで・・・」

父さんは「僕の知っている限り」自分で運転したことはない。確かに家には車があるけど、母さんが使っていたもので、車庫になかったことがない。

僕の知らない所で乗っていたんだ、父さん。でも半年前、かぁ・・・

考えると怖くなるから考えないことにした。
だって本当に嬉しいから。普段ろくに話しさえしないのに一緒にドライブだなんて。
きっと明日はここで台風が発生してすごいことになるだろう。もしかしたら季節外れの大雪なんてことになるかもしれない。

それ以前に、そうだ、もしかしたら夢かもしれないじゃないか。だってこんなことがありえるなら何だって起きるかもしれない。富士山だって爆発しそうだ。
そう思って頬をつねってみた。

痛かった。
・・・夢じゃない。

「何をしている。さっさと支度しろ。日が暮れてしまうぞ」

ぼおっとして見えたんだろう僕に父さんが言う。慌てて動きながら頭の中で考える。
とりあえず朝食を片づけて、そうだ洗濯物もとりあえず回してしまおう。それから、何かしておかないといけないことってあったかな・・・?

「父さん、お昼はどうするの? 今からじゃお弁当もちょっと難しいよ」
「コンビニに寄ればいいだろう」
「父さんがいいならそれでいいけど・・・」

コンビニねぇ・・・なんて思いながら、慌てて準備をして僕は父さんと車に乗り込んだ。
うちにある車じゃなくて、たぶん父さんが仕事で乗っているんだろうゴツイやつ。車は詳しくないからわからないけど、ジープとかランドクルーザーとか、そういう感じの車だった。

エンジンがかかって車がちゃんと動き出すまで、すっごく緊張していたんだけど、父さんはエンストすることもなく、手慣れた感じで出発した。
なんだ、心配するほどじゃなかった。ちょっと安心して僕は窓から外を眺める。
車の中で会話が弾んだのかといえばそんなことはなくて、

「最近どうだ、学校は」
「うん、まあまあ。こないだちょっとトウジとケンカしちゃったけど、仲直りしたし」
「そうか」

で終わってしまった。
普段が普段だけに何を言っていいかわからず、父さんもそれ以上聞いてこない。
それよりも車を運転する父さん、などという珍しいものが隣にいるんだから気になってしまって、思わずちろちろと見てしまう。

「なんだ?」

なんて言われて慌てて目を逸らしたりもしたけれど、気分は悪くなかった。

コンビニでお弁当と飲み物、あとお菓子なんかを買い込む。
運転する父さんもだけど、コンビニで買い物する父さんも初めて見た。
似合ってるような似合ってないような。どことなくぎこちない感じがして「やもめのオヤジ」みたいに見えるのは僕の気のせいだろうか。
レジで清算するのを見ながら、そう言えば自分でお金を払わずに買い物するのって久しぶりだ、なんて思ったりした。

駐車場を出ようとバックしたときに、ゴン! という音と共に車体ががくんと揺れた。
後ろを見たけど、何にぶつかったのかよくわからない。街灯が立っていたけれど、それにぶつかったようにも見えない。
車を降りてみると、街灯の台座(ちょうど車からは見えなかった)にぶつかっていた。
これは仕方ないよなぁと思ったけど、思わず「やっちゃったね」なんて言ったら、父さんは憮然とした顔で黙り込んでいた。怒らせちゃったかなぁと思うものの、フォローもできない。
車は一見、傷はなさそうだったけれど、後輪の泥はねを防ぐやつ板が外れてしまっていた。
ぐらぐらするもののすぐに落ちるようにも見えない。

「このままではまずいか」
「どうだろう? でも今直せないし、車屋さん探すか・・・スタンドで見て貰えないかな?」
「・・・そうだな」

とりあえず走るのに問題はなさそうで道に戻る。
そんなに走らないうちにガソリンスタンドがあったからとりあえず聞いてみた。
これくらいだったら直せるって事で、お願いして僕らは車の中で待った。外は熱かったし、何か手伝うわけでもない。
さっき買った缶ジュースを出して父さんに渡すと自分もプルを開けた。

「よかったね直って」
「ああ」

そんなに時間もかからずに修理は終わり、またドライブに戻る。
変わらず無言だった。
青空で車も少なくて、僕の缶は空になってしまった。
窓を開けて風を入れて広がる山並みや緑の田畑を眺める。
気持ちいいなぁ。これからもたまにはこうしてドライブに連れてってくれないかなぁ。
そんなことを考えていたときだった。

細い道だし、車もなかったからいいんだけど、信号は赤だった。
父さんは止まる気配すら見せずに通り過ぎた。

「今、赤だったよ」

僕がそう言ったら慌てて「そうだったか?」と言いながら振り返りブレーキを踏んだ。でももう信号はとうに後ろだ。 おまけに急ブレーキのせいで父さんの分の缶ジュースは倒れてしまって、運転席側のシートはびしょぬれになってしまう。 その上父さんは缶を拾おうと屈み込み、でもそのせいでブレーキから足は外れて車は動き出してしまい、「父さん、前前!」慌てて言う僕の声ではっとしてハンドルを握り直す。
落ちた缶は僕が拾ってホルダーに戻した。
父さんの靴も靴下もズボンも濡れていた。

もうどうしようもなくて車はそのまま進む。

「ぷっ、あ、あははははっ」

僕は堪えきれなくて笑い出す。
父さんが! いつも何が起きても動じないって顔してる父さんが! 焦っておたつくなんて!
今日はなんて日なんだろう!!
だいだい珍しいことが重なり過ぎだ。ドライブに誘われて、車を運転したり、コンビニで買い物する父さんを見て、車をぶつけて信号無視してジュースを零して慌てる父さんが見れた。
ものすごい日だ。きっとこんな日はもうない。
可笑しくて楽しくて笑いは止まらなくて、そしたら父さんが憮然と言った。

「そんなに笑わなくてもいいだろう」
「ご、ごめん・・・でも、あ、あはっ、だって、父さん、ははっ、お、可笑しいよ・・・」

堪えて堪えて一生懸命普通の顔をして、でもやっぱり思い出すと可笑しくて、結局海までそんな感じで僕は笑いつづけてしまった。
父さんはずっと不機嫌そうな顔だったけれど、海に着いたら少し機嫌も直っていた。

確かに今時めずらしいゴミのない水も浜辺も綺麗な浜辺だった。穴場なのか人もいない。
それでも海の家のような簡単な建物が隅っこにあって、そこのベンチに腰掛けてコンビニ弁当を食べる。

「ちょっと海に入ってくる」

そういって僕は裸足になって水のなかに足をつけた。半ズボンだったけど、ちょっと波があるから気を付けないと濡れそうだ。
照り付ける日差しは痛いくらいに強いけど、水の中はひんやりとして気持ちよかった。
時折小さな、本当に小さな魚が群れて泳いでいく。
足で砂を抉ったら何か固いものに当たる。濡れないように気をつけて拾ったら貝だった。食べられる奴かな? と思いながら放してやる。

そのうちに首筋や腕がじりじりと音を立て始めたから僕は父さんのいる日陰へ戻った。

「あっついね。これ以上焼いたら皮剥けちゃうかな」
「日焼けも火傷と同じだ。急に焼くと痛むぞ」
「やばいかな」
「これで冷やせ」

手渡されたのはまだ冷たいペットボトルで、僕はそれで体を冷やしながら喉も潤した。

「そうやって遊んでいるとまだまだ子供だな」
「まだ中学生だもん、当たり前じゃないか」

父さんはびっくりしたみたいにサングラスの向こうで目を見開く。
そしてため息を吐くように言う。

「そうだな」

今までそんなこと忘れていたかのように。そして、

「水着でも持ってくればよかったな」
「う〜ん、でも僕泳げないし」
「まだ治らんのか、カナヅチは」
「そう簡単には無理だよ。あ、でも父さんの水着姿って見たことないし、見てみたかったな」
「そんなもの見てどうするんだ」
「え? 一緒に海に行ったっていう思い出になるだけだけど・・・」
「・・・ユイがまだ生きていた頃に、3人で海水浴に行ったことはある」
「そんなの覚えてるわけないじゃないか」
「そうか」
「そうだよ・・・父さんは海に入らないの?」
「私は半ズボンではない」
「捲くればいいじゃない。せっかく来たんだし。そうだ、足も洗えるよ。零したジュース、べたべたしてない?」
「・・・そうだな」

しばらく黙って考えてから父さんは靴と靴下を脱ぎ、ズボンのすそを捲り上げた。

父さんはただ足をつけているだけ、と言う感じで波打ち際に立っていた。僕は一瞬、水をかけてみようかな、なんて考えたけど、さすがに怖くてできなかった。
二人で海に足を突っ込んで、話もしないでぼんやり水平線を見ていた。

しばらくぼんやり景色を眺めて、僕はつぶやくように言った。

「綺麗だね」
「ああ」
「また来たいな」
「・・・いつになるかわからんぞ」
「いつでもいいよ」
「そうか」

正直「無理だ」という答を予想していたから、すごく嬉しかった。

結局、何するでもなくただぼおっとして、家路につく。
帰りの車の中も、やっぱり会話はなかったけれど、全然気にならなかった。
家に帰っていつもとあまり変わらない生活になって、次の日にはまるで夢だったみたいに父さんはさっさと仕事に出かけていた。

でも。

他の家の人達には何でもないことかもしれないけれど、
僕にとっては今までで一番、特別な日になった一日。
きっとこの先何があっても、
もし家を出るようなことがあったとしても、
この思い出があれば、きっと父さんは父さんのままだ。

結局僕は、この日の出来事を事細かに、
本当に一言一句にいたるまで全部、
記録して残した。

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