!!注意!!
シンジが女です。
私=女シンジ、兄=カヲルで兄妹設定です。

兄とそうなったのは松も取れた1月の事だった。
まだ流行もしていない時期にインフルエンザを引き当て強制的に休みを取らされたものの、体のほうは薬が効いて割と早い時期に楽になっていたから暇だった。
兄は相変らずこだわりなくあれこれ書き連ねる文筆業を続けており、締め切りに追われてまでいないものの余裕があったわけでもなく、何となく手伝ってみたりしていた。
一息ついたのはもう夜も遅い時間で、喉が乾いていたのでお茶を入れて飲んでいた。
どちらからか言葉があったわけでもない。ただ何となく視線が合ってしまい、私からは逸らせなかった。
奇妙な間が空いて、何となく、本当に何となく「あ、来るな」と思ったのだった。
兄の顔が近づいてきて肩に手が触れたとき、ちょっとだけ考えた。でも、”ま、いいか”と簡単に思ってしまい、特に抵抗もしないでそのままされるに任せた。

何故兄がそんな気になったのか、以前からなのか、この時だけの衝動だったのか。わからないし知ろうとも思わない。
正直、この年まで「そういうお付き合い」をしたことはなかったので、あれこれ考える余裕がなかったのも本当だけど、その後も特に考えることはなかった。

母は私を生んでまもなく亡くなった。父はあまり子育てと言うものには興味がなかったらしく、兄と私を二人抱えて生活するという選択肢を早々に捨てた。手のかからなかった兄は手元に残し、まだ幼い私は養子に出した。
私は自分が養子だということをずっと知っていたけれど、本当の家族に興味もなく、養父母と普通の家族として暮らしていた。けれどその養父母も、私が高校生の時にそろって事故で他界した。
悲しかったはずだけれど、あまり覚えていない。いきなり一人で放り出されてしまった気がして呆然としていた。ぼんやりと「つくづく家族運というものがないのだな」と思ったことは覚えている。確かご近所の人に色々と手伝ってもらって葬式自体はなんとか出せたのだったと思う。それが終わると本当に空っぽになったように感じられて、とりあえず遺影を眺めてぼけっとしていた。
葬式の夜だったか、その翌日の夜だったかはわからない。夜中に見知らぬ人が尋ねてきて、それが「兄」だった。
いきなり見惚れるくらいに綺麗な顔をした人が視界に入ってきて心臓が飛び上がるほどびっくりした。“声はかけたんだけど”そういって笑って、それから“僕は君の兄です”って言ったんだったと思う。言葉の意味自体はわかったけれど、だからといって“はいそうですか“なんて言えるわけもなかった。
本当の両親の顔なんて全然知らなかったけれど、その「兄」と自分の顔に共通点を見つけることはできなかった。自分の顔が十人並みなのはわかっている。その私と目の前のこの綺麗な人が「兄妹」だと言われて疑問も持たずに納得できる人がいたら尊敬する。まだ養父母に似てると言われる方が納得できる。
だからきっと不審丸出しの顔をしていたんだと思う。
「兄」はそんな私を見て“とりあえず面倒を見てくれる人がいないみたいだから、うちに来るといいよ”と苦笑した。
“信じていいのかな”疑問は消えなかったけれど、身寄りがなくなってしまったのは事実だった。金銭的に1年くらいはなんとかなるかもしれないけれど、その先についてはまったく見通しは立たない。
視線を上げてちらっと見ると、「兄」はにっこりと笑った。
私ってば実は結構面食い? と思いながら結局はその笑顔で兄の所へいくことを決めたのだった。

それから随分経った。
正直言えば、今でもどこか他人行儀な仲だと思う。その綺麗な外見もあって最初のうち私はどうしても敬語になってしまっていた。やっと最近になって普通の会話ができるようになったけど、兄には何度もため息をつかれた。私としては、養父以外に男っ気のなかった生活にいきなり、それもこれだけ美形で妙齢の(?)男が登場なんて、気にするなというほうが無理だ! という思いだったんだけれど。それにやっぱり金銭的にはお世話になっているんだし。

兄に引き取られてから、本当の両親の写真を見せてもらった。写真で見る限り、私はこの2人の子供なんだろうなと思えた。特に父親とは似ている気がする。でもこの「兄」はどういう遺伝情報が発現してこんな風になったんだろう? かなり無理をして見れば、母親似だと言えなくはない? という程度。“本当に兄妹なんですか”と何度か聞いたことがあるけれど、だんだん表情が、怒ってるんじゃなくて悲しんでるように見えてきて聞けなくなった。
「父親」をこなせなかった父は、手がかからないのをいいことに兄のことはほぼ放置していたらしい。自活できるようになった頃から長期間留守にすることが増え、そのうちにどこか海外へ行って行方知れずなのだと、兄はさらっと言った。たぶん、この人はこの人なりに苦労はしたんだろうと思う。少し、ほんとうに少しだけだけど言動が変な気がするのも、たぶん気がするんじゃなくて変なんだろうな。
父の失踪後、自分の外見を自覚していた兄は、それを最大限生かしてモデルなんかの仕事をして生活費を稼いでいたらしい。そしてしばらくは稼がなくても暮らせる程度のお金を貯めると、儲かりそうもない文筆業を開始した。
兄の仕事をちゃんと知ったのは結構後だったけれど、筆名を聞いてみれば私でも聞いたことくらいはある作家だった。モデルの方が絶対に収入は良いだろうに勿体ないと言ったら“食べていくのに困らない程度には収入がある”と笑った。私を普通に大学に行かせてくれたし、“食べるのに困らない程度”以上の収入はあるんだと思う。
所謂「担当さん」が時々出入りして、お茶を出したりすることもあった。締め切り近くになると篭ってしまうことも多くて、食事なんかの管理は私の仕事、と思っている部分はある。家族、といえばそうなんだろうけど、気分としてはお手伝いとかハウスキーパーとか、今だったらメイド? そんな風にも思っていた。そう言う意味では家族っぽくない生活だったかもしれない。
それは認めるけれど。

朝食の席で顔を合わせた兄は少し戸惑った様子だったけれど、私があまりにもあっけらかんとしていたからか、なんと言えばいいのかわからないようだった。
「その、体は大丈夫?」
などと聞かれ「何ともないです」と答えるとそれ以上は何も言って来ない。「特別な事」であったはずだけれど、私にはまったくそのように感じられず、普段と何も変わらない態度で接してしまった。夜になって「まずかっただろうか」と思ったものの今更どうにもできず、結局まるで何もなかったかのように納まった。

「実は血が繋がっていないんです」なんてことがあったら笑うんだけどな、と思ったりもしたけれど、そんなことはないみたいだった。

お互い、結婚などという単語がすぐ隣に来ている年齢だけれど、どちらもまったく気配がない。
私はそう言う気がまったく起こらなくて、もしかしたら真剣に悩まなければいけないのかもしれないけれど、そんな気にもならなくて、のほほんと過ごしている。
兄はそれなりに「おつきあい」もしていているし、何人かは紹介もされたけど、
「結婚するなら、自分よりも妹を大事にしてくれる人でないと嫌」
と公言するものだから、いつも最後は振られてしまっているようだった。

兄に対し恋愛感情を持っているわけではない。それは確かだと思う。ただ嫌悪感などもあったわけではなく、一緒に食事をするように、一緒に外出するように、一緒に寝ただけだ。こんなこともあるだろうさ、と思って気にしなかった。

それがどういう行為なのか、思い至ったのはしばらくしてからだった。
私の生理は初日が重い。下腹部に何かこうヘンな物がどっしりと存在し蠢いているような感覚があり、動きたくなくなる。それでも仕事は薬を飲んでこなすけれど、家でまで平気な顔をする余裕はなかった。
テーブルにおでこを載せ、腹を抱えるようにしていると「どうしたの?」と兄が声をかけてきた。「うーん? 生理」と答えた時、兄の顔にわずかの安堵が見えたのは多分見間違いじゃないと思う。
その顔を見て初めて、「ああそうか」と思ったのだった。
そのことを、何らかの結果が出てしまうかもしれないことを、その時までまったく考えていなかった。我ながら暢気もここまで来ると問題だなと思ったものの、生理が来た以上問題は発生しなかったわけで、結局私はまた特に引っ掛かりを覚えもせずにそのまま流してしまった。
あれは何かの弾みで継続するものではないと思っていたのだと思う。

そのくせ、2度目に手を伸ばされた時も、何故か深刻に捕らえることができずに「そんなにしたいのかな?」などと暢気に考えてしまっていた。
ただ兄のほうはそんなに暢気でもなかったようで、恐らく今まで見た中でも一番と言っていいくらい真剣な顔をしていたし、ちゃんとコンドームも用意していた。
それで「あーこれは続ける気なんだな」と思ったけれど、それでもやっぱり「ま、いいか」と思ってしまったのだった。

何か言葉にしたことはない。たぶんこれからもしない。
できないのかしないのかわからないけれど。
ただ私達は二人なのだ。とても変な風に、歪に、二人なのだ。
きっとこのままこの関係は続けられるのだろうけれど、私はそれに対して特に何か思うことはない。結局いつまでたっても「ま、いいか」と受け入れて、ごく普通に暮らしてしまうのだろう。
そんなことを思いながら、ゆっくりと目を閉じた。

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