あまり大きくはない町なので、店は一人でやっている。というより他の人を雇う余裕はないというのが正直なところだ。
理髪店なんてやっているといろんな客が来る。さすがにパンチパーマを希望するような客はいないけれど、強面の見るからにそっち系の人だとにこやかに接客しながらも内心冷や汗をかく。ほとんどはごく普通の男性客だけど、ご近所の子供達も大事な常連さんだ。まあ、お母さん方へ愛想を振り撒いた結果でもあるんだけど。最近はそのお母さん方も顔を剃って欲しいと来てくれることが増えた。ありがたいけど、あまり女性客を増やすと馴染みのお客に逃げられるような気もして、最近では振りまく愛想も半減気味だ。
来客にも波があって、一日で一人二人という日もあれば、朝からずっと切れずにお客さんが来る日もある。休みなく働いているとどうしても他の人の手が欲しくなるけど、嬉しい悲鳴と諦めるしかない。
日々の仕事に追われて、それをこなすのが精一杯で、新しい話とか流行とか技術とかを学ぶのは大変だ。それでも僕はできるだけ新しい情報を手に入れて、研修会なんかにも積極的に顔を出している。
「勉強熱心だね」
と同じ理容師仲間にも言われるが、それがただ一人のお客さんのためだと言ったら笑われるだろうか。
僕はその人が来るの待ち焦がれている。
柔らかい髪、すべらかな頬、細い項。
彼が来店するとそれだけで浮き足立って嬉しくて。でもこれでまたしばらく会えないんだと思うと寂しくもなった。
別に親しい話をするわけじゃない。どちらかというと彼はあまり話し掛けられるのが得意じゃないみたいだから、あたり障りのない世間話をぽつりぽつりとするだけだ。それでも彼の髪を触ることに、肌に触れることに、僕は至上の喜びを見出している。自分がおかしいんじゃないかと思うほどに。
カラン
ドアを鳴らして入ってきたのは待ちかねていたその人だった。
「今いいかな」
遠慮がちにそう言って笑う。店には運良く(?)客は居なくって、聞かなくったって見ればわかるだろうに、彼はいつもそうやって聞く。
「どうぞ、シンジ君。ちょうどいいタイミングだよ。さっきお客さんが帰ったところだったんだ」
「そう、よかった」
そう言って上着やカバンを預かると椅子に座ってもらう。
「今日は?」
タオルを巻いてケープをかけながら聞くとシンジ君は恥ずかしそうに「いつもと同じで」と答えた。
初めてシンジ君がうちに来てくれたのはもう2年ほど前になる。その時は学生かと思っていたけど、何度か通ってくれるうちに実は一つしか年が違わないということがわかった。それから何となく「シンジ君」と名前で呼んでいるんだけれど、本当はお客さんにそういうのは拙いかもしれない。でも僕にとって彼は特別だったから、シンジ君が嫌がらないのをいいことに名前で呼び続けている。最近ではやっと慣れてきてくれて、シンジ君も僕を「カヲル」という下の名前で読んでくれる。僕らはここでしか会わない、ただの客と店主だけど、ここでは友達でもあった。少なくとも僕はそう思っている。
黒い艶やかなシンジ君の髪に鋏を入れる。しゃきんと歯切れのいい音がしてぱさりと髪が落ちる。
初めの頃には髪に色を入れることも提案したけど、シンジ君はあんまりしたくなさそうだったから無理は言わなかった。今はこの黒髪が一番シンジ君に似合ってると思う。恐らく一度も色なんて入れたことはないだろう髪はサラサラとして手触りもいい。櫛の通りも良くて、うちに来てくれる客の中で彼の髪が一番綺麗だと思う。彼の髪が好きだ。好きなのは髪だけじゃないけど。
彼の体の一部に堂々と触れることが出来るこの仕事を、偶然とはいえ選んだ過去の自分を時折誉めたくなる。
色を入れない分、どんな髪型にするかを僕はいつも考える。あんまり冒険するのはシンジ君が嫌がりそうだから少しずつ遊びを入れて、長さや流れを弄ってみる。シンジ君はあまり興味がないのか、どんな風にしても気に入ったと言ってくれるのが嬉しくてちょっと寂しいけど。
毛先だけ流れるようにカールを付けてみたりとか色々試したけど、どことなく少年っぽさが残る今みたいな髪型が一番似合ってると思う。だから最近はこのラインを基本に、ちょっとだけ変えるという感じだ。
髪を切られている時のシンジ君は目を閉じている。気持良さそうに見えるのは僕の気のせいだろうか。もしシンジ君も僕に触られるのを気持良いと思っていてくれるのなら嬉しいんだけど。
ぼそりぼそりと話をする。最近のニュースとか、休日の行動とか。話す量は僕のほうがたぶん多いけど、シンジ君だって頷くだけじゃなくてちゃんと言葉を返してくれる。いつも通りの仕事で、手は機械のように考えなくても動くんだけど、それでもどこか彼に触れるときはできるだけ優しく触れるようにしていると思う。とても微妙に。
カットが済んで髪を洗う。このときも僕は優しく丁寧に彼に触れる。柔らかい髪をそっと梳いてお湯をかけ、丁寧に丁寧に洗う。特別なことはしない。時間もそんなにかけているわけじゃない。ただ、研修会で色々習ったりした時に、いつか来る彼の為に僕はそれをルーチンに入れる。考えなくても彼にはそうできるように。
美容室では仰向けだけど、理容ではうつぶせて洗う。顔が見えなくて(仰向けでも顔は被うけど)それがちょっと勿体無い。でも彼の丸い後頭部を撫でるように触れられるのは嬉しいんだ。
髪を拭いて整えてシェイビングに入る。シンジ君はそんなに濃くないから、普段の剃りでも十分かもしれないけれど、とりあえずはルーチンに入っているし、それに堂々と彼の肌に、顔に触れるチャンスを逃す気はない。
襟足から始めて頬、顎、おでこ、眉と進める。
その細い首に触れる。柔らかい頬に触れる。唇には触れられないけれどそれでもその端に触れて、優しげな眉を整えるのは幸せな行為だった。
本当にシンジ君は髭も薄くて、女性と変わらないくらいの印象だ。体のほうも薄いのかな? なんて考えてしまって、見られてもいないのに赤面する。手に持っているのは剃刀だし、どんなに扱いなれていても刃物なんだから集中していないと何が起こるかわからない。だから余計なことは考えない様に、雑念を振り払う。それでもシンジ君の肌に触れてみたいなとか、そういう不埒な考えは簡単には消えない。本当に仕事しながらこんなことを考えるのはシンジ君だけだ。
綺麗に剃りあげて、蒸しタオルで丁寧に拭く。そしてクリームでマッサージをする。これも最近増えた女性向のサービスみたいなものだけど、最近は、特に若い男の子は肌の手入れも女性並だから評判は悪くない。色々やってみてクリームやマッサージの方法も勉強している。選ぶ基準がシンジ君になるのは仕方ないんだけど、実際に本人に使えるのなんて数えるほどだ。
丁寧に肌に触れて優しく指先で辿る。きっとシンジ君は何処に触れても肌はすべらかだろうなとか、腕はあんまり焼けてないからきっと体も白いだろうなとか、気持良さそうな顔をしてくれているけれど、本当に気持良い時は、どんな顔なんだろうとか。結局はやっぱりそんなことを考えながら、シンジ君に触れていた。
仕上げのドライヤーを当てながら、その柔らかい髪を手ぐしでばさばさと梳いて水分を飛ばす。
自分が、この人に恋をしているというのはもう随分前から自覚している。触れる度に指先がそう言う。
でも、告白はできない。
きっとシンジ君は同性に告白されるなんて夢にも思ったことはないだろう。
面倒な恋をしてしまったなぁと時々思うけれど、それでもこうして彼に触れられるのは嬉しい。
全てが済んで、短い逢瀬が終わる。
シンジ君の髪が伸びるのが早いといいんだけどとか、自分じゃどうしようも出来ないくらい髭が濃かったらいいのにとか思って、でもそんなシンジ君は想像もできない。
”っていうか、そんなシンジ君だったら好きになったかな?”
外見だけが全てじゃないってわかってるけど、きっとそんな外見だったら、こんな風な性格には育たなかったんじゃないかって気もするから、あながち見た目はバカに出来ないと思う。だからこそ綺麗整えてあげたいとも思うんだけど。
”次はいつ来てくれるかなぁ”
心の中ではため息をつきながら、にこやかにケープを外した。
「あの、さ」
支払いもすんで身支度を整えてドアを空けようとしたシンジ君が振りかえって言う。
「ここ、月曜日定休だったよね」
「うん、そうだけど」
それでも最近はハッピーマンデーとかいうわけのわからないののせいで、月曜でも店を開けることもある。世間の休みは稼ぎ時。だから色々な業界で「ブラックマンデー」と呼ばれていると聞くけど、自分としてもまさにブラックだ。でもこの先1ヶ月くらいは普通に定休日が取れる。
「来月なんだけど、月曜日に休みが取れそうなんだ。もしよかったらなんだけど、その、こないだ言ってた水族館に一緒に行かないかなって思って」
びっくりした。シンジ君からそんな風に声をかけてもらえるとは思っていなかった。確かに以前「新しくできた水族館に行きたいんだけど、男一人じゃね」と言った記憶はあるけれど、覚えていてくれるとも思っていなかった。あんまりびっくりして僕はリアクションを取れなかった。だから、
「あの、迷惑ならいいんだ。男二人で水族館っていうのもヘンかなとは思うし」
とシンジ君は引いてしまった。慌てて僕は口を開く。
「いや迷惑じゃない。行こう! 水族館。行きたかったんだ。シンジ君がいいならぜひ一緒に」
手も握らんばかりに詰め寄るように乗り出す。そんな僕に目を丸くしながらシンジ君はのけぞった。
「じゃ、あの、ちゃんと休みが決まったら、連絡するね。お店でいい?」
「うん。あ、でも良かったらFAXか携帯のほうがありがたいかな。待って、今番号書くから」
そう行って客配用のカードに携帯の番号を書いた。
「仕事中は基本的に留守番サービスだけど、こっちのが確実だから」
そう行って渡す。大事そうに手に取って、シンジ君はしばらくそれを眺めた。それから財布を取り出してしまう。
「じゃあ携帯に連絡入れる。今日はありがとう」
そう言って彼は笑ってドアに手をかけた。カラン、という音を聞きながら「ありがとうございました」と頭を下げた。
シンジ君が僕のことをどう思ってくれているのかなんて、考えたこともなかったけど。お店で会う以上のアプローチなんて、まだ先のことだと思いこんでいたけど。僕は少しは図に乗っていいんだろうか? 自惚れてもいいんだろうか? シンジ君も僕と今以上に仲良くしたがっていると。いい年をして今更友達とか何とかっていうのは難しくて、ましてや僕はただ友達になりたいわけじゃないから自分からは積極的な態度を取らなかった。けどシンジ君から声をかけてくれた。今まではお店の中だけの関係だったけれど、それでも仕方ないと思ってきたけど、もしかしたら外でも会えるようになるかもしれない。友達に、とりあえずだけど友達になれるかもしれない。
そう思うと嬉しくて、僕の顔は緩んで戻らなかった。