ふと目が醒めた。
部屋は薄暗くてもう遅い時間だってわかる。ちょっとぼぉっとした頭で、なんかすごく寝たような気がするなぁって思いながら時計を見ると6時を過ぎている。そんなに寝てたつもりはなくて慌てる。
今日はカヲル君と会う約束の日。
急がないと、久しぶりだっていうのに遅刻してしまう。
慌てて着替えに隣の部屋に行く。今日の為に用意していた服に手を伸ばしたら、お腹のあたりに染みがあることに気付いた。なんで? 汚すようなことをした覚えはないのに。

カヲル君と一緒に買いに行って気に入っていた服だったのに。
あーもう時間がない。
仕方がないから別のお気に入りのを急いで取り出して着る。
これもカヲル君に似合うって誉められた服だから、ま、いいか。
慌てて着替えてカバンと鍵を掴んで外に出る。
久しぶりの雪で街は少し歩きにくいけど、それでも屋根や街路樹の上に白い綿が乗っている様子はなんとなく特別な感じがして嬉しくなる。

電車1本で目的の駅まで。カヲル君がこの街に帰って来るのは随分久しぶりで、今日はホテル泊まりの予定だから大きい駅を待ち合わせに選んだ。教えてもらったお店も丁度この駅で都合がよかったし。
気持は焦っていても列車の速度が上がるわけじゃない。たぶん、ぎりぎりには着けるはずだからそんなに慌てなくてもいいと思うんだけど。
早く顔が見たい。顔を見て声を聞いて。側に行きたい。隣に立ちたい。

電車を降りると風が強く吹き込んで、暖房でちょっと温まった体をあっという間に冷やす。
でもこの階段を上って改札を抜けて、そうしたらカヲル君がいるはず、と思ったら気にならなかった。

転ばないように気をつけて、でも少し急ぎ足で駅を行く。
角を曲がると空を見ているカヲル君の姿が見えた。
「カヲル君」
声をかけたらふってこっちを見て、それからゆっくりと笑ってくれた。
「シンジ君」
「ごめんね、ちょっと遅れちゃった」
「大丈夫だよ、ほら、丁度良いくらいだ」
そう行って腕時計を見せてくれる。去年僕が贈ったやつ。少し傷がついてるけど、それは毎日使ってくれてるからで、大事に使ってくれてるのかなと思うと嬉しい。
ちょっと顔が笑ってると思う。そんな僕を見てカヲル君も笑う。”大事にしてるよ?”って顔。
「じゃ、行こうか」
そう行って連れ立って歩き出す。予約した店はちょっとだけ歩く距離にある。少し裏路地に入ったお店はあんまり目立たないけれど、すごくおいしい料理を作ってくれるって聞いている。

カランとドアを鳴らしてお店に入って、名前を告げて案内された席につく。コースでお願いしてあるから、飲み物とかだけ選んであとは料理を待つ。
「雪が積もっててびっくりしたよ」
カヲル君が話す。
「うん、電車止まったらどうしようって思った」
「こないだは凄い降りだったんだって?」
「こないだっていうかうん、昨日?」
「そう? 僕のところは朝少しだけ白くなったけど日中には溶けちゃってたよ」
「それくらいが丁度いいと思うけどな」
それからお互いの近況を話す。メールでやり取りもしているし、知ってはいるんだけど、やっぱり直接こうして相手の口から聞くのは違う。
料理が運ばれてきて食べながら会話は尽きない。どうでもいいような話だって二人ですると面白く聞こえるし楽しい。
教えてもらったとおりに料理はすごくおいしくて、濃厚なスープにシンプルだけど塩味の効いた肉。ワインも喉から抜けて行く香りがすごくフルーティでなんだか極上って感じ。
「結局、今日泊まって明日は帰るの?」
「うん、一つ片付けないといけない仕事が残っちゃって。本当は終わらせてそのままここにいるつもりだったんだけど無理だった。ごめん」
「いいよ、気にしないで。カヲル君、役職ついちゃって忙しいもんね」
「その代わり年始はきっちり休み取ってくるから。初詣は一緒に行こう」
「うん」
笑う。一緒にいられるって思うと笑っちゃうけど仕方ないよね。

デザートまで楽しんでずるずると話をしてやっと腰を挙げる。
カヲル君が精算してくれて、こういう所スマートだよなぁって感心しながら、お店の外で自分の分を用意する。
「はい」
出てきたカヲル君に渡したらびっくりした顔した後に苦笑って感じで笑って
「別にいいのに」
って言ってくれる。うん、でもやっぱりこう言うのはちゃんとしとかないとって思うし。

カヲル君の泊まるホテルは駅に近いから、来た道を戻る。
気温はさらに下がってきてるみたいでちらほらと雪が落ち始めてきてる。また積もるかなぁ。
お店であんなに話したのに「そう言えば」なんて言ってまた話が出てきてホテルまで歩いた。

ビジネスホテルじゃない、ちゃんとした部屋だからそれほど狭い感じはしない。暖房が効いていてホッとする。
「何か飲む?」
「そうだね」
ルームサービスでワインを頼んでソファでくつろぐ。
お店でも飲んでここでも飲んだら結構酔っ払ったかも? あんまりお酒は強くないんだけど、まだ正気なのはカヲル君といることに興奮しているからかも。そんなことを考えてたらカヲル君が
「シンジ君、もうちょっと端に寄って?」
って言うからなんだろうと思いながらも端に座りなおした。
ボスンってカヲル君の頭が膝の上に乗った。長い足は肘掛の向こう側に随分な長さで余ってる。
くすくすっておかしくなりながら
「カヲル君、酔ってる?」
って聞いたら「酔ってる」って返事。
確かに顔赤いなぁ。カヲル君、肌が白いから結構すぐに赤くなるんだよね。でも強いけど。
柔らかいカヲル君の銀の髪を梳いてみる。赤ん坊とか子供の髪ってこんな感じだったよなぁってくらい柔らかい髪。僕はどっちかって言うと硬い方だから羨ましい。そんなこといったら羨ましいところだらけなんだけどさ。

手が伸びてきて僕の頭を引き寄せる。この体勢で屈むのキツイんだけどな、って思いながら唇を合わせる。
「シンジ君、寒い?」
「え? 暖房効いてるしお酒も飲んでるしあったかいけど」
「なんか唇が冷たい」
「そう?」
指で触っても自分じゃわからない。飲みすぎたかなぁ。
「もう少ししたら無理矢理でもこっちに帰って来るから、それまでもうちょっと待ってて」
真剣な顔でそんなこといわれて、嬉しすぎだよね。
そのまましばらくじゃれてて「テレビでも入れよっか」ってスイッチを入れる。ニュースはこないだ起きたちょっと悲しいニュースのその後を流していた。
「こう言うの多いよね」
「うん、なんか最近目立つ気がする」
「本当に多いのか、報道される機会が増えただけなのか気になるよね」
そんな話をしていたら、『港で死体が見つかった』ってニュースが聞こえた。

ゾクっとした。なんだろう、急に背筋が寒くなる。
「シンジ君?」
「うん、大丈夫……」

『〜時頃、倉庫付近の海面に人が浮かんでいるのを作業員が見つけ警察に通報しました。調べによると〜』

あ、ダメだ。これ消さないと。
リモコンに手を伸ばす。
けど。

『〜から、殺害されたのは会社員のイカリシンジさんである可能性が高いとみて、警察で身元の確認を急いでいます』

「え?」

そうだ。水の中、見上げたら水面がキラキラしてて。
今日はカヲル君と約束しているのにって思って。
行かなきゃって思って。
行かなきゃ行かなきゃって思って。
行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃって……。

「シンジ君?」
僕を覗きこむカヲル君の顔。

もう、見られない。

「や、やだっ!」

手を伸ばしてしがみ付きたくて。でも叶わない。

なんにも聞こえなくて
もう−−−

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